名号を聞くままが信

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

 しかしてその名号は「聞」をもっていただくのですから、聞くままが信です。聞くことのほかに信があるのではありません。名号は如来の全生命であり、いっさいの衆生を救う万徳円成の御名で、その御名のままが招喚の声となって私を喚びたもうのです。
 喚び声の聞こえたときが、名号がわがものとなり、如来のお徳とそのはたらきが私のものとなって下さるのです。永劫のくらやみは、ただちに光明の世界となるのです。
 如来の招喚を私は聞く力はないのです。しかしそれを聞き得させていただけるのは、如来の力であり、如来のご廻向だからです。別に信を構想しようとするのは、真に仰せを聞いたのではありません。
 しかるに、すなおに如来の仰せを聞きえない心があります。それは久遠の迷妄であり、我執の迷情です。それが自力の計らい心であります。この心が聞くことをもとにして、信心をつかもうとするのです。どうして、この心をすてることができるのか。自分ではこれをすてることはできません。ただ如来の仰せを聞くことによって、この執情が打ち消され、すてさられてゆくのです。「聞く一つ」よりほかにはありません。私たちの一生涯は、聞法の歩みでなければなりません。もうこれで信心が決定したので、これでよしとする心は、ややもすると自力心の上に立っている場合が多いのです。「もうこれで聞いた」ということではなく、聞けば聞くほど聞かずにおれないのが聞法のよろこびです。
 名号こそ、この私へ与えんとして成就された如来の血の涙の結晶です。この名号を聞くとは、親心を聞くのです。親心の真実を聞くままが私のいのちとなり、根本的に、私たちの本質を改造し、やがて真実報土へ生まれさせていただくのです。
 ところが名号は、私たちと全く離れた外のもののように思い、それによって救われるということは、見当ちがいです。実は名号そのものが私たちのうちにあらわれて、私たちを救いたもうのです。私の計らい心がいっさい打ち消され、名号願力によって私のすべてが転成せしめられるのです私の力がなくなって無気力にされるのではなく、真実の無我の力(願力)に生かされるのです。
 こうした名号廻向の救いであればこそ、このみにくい私のすがたのうえに、真実のいのちが輝くのです。
 そしてこの救いは、求めて与えられるのではなく、求めるにさきだって与えられるのです。求めるように思うのは、じつは求めたもう如来の救い(願力)のはたらきであるのです。

(p.200~p.202)
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No title

初めて、コメントを書きます。
私は、貴方のことをよく知りません。
しかし、たぶんお顔を拝見すればたぶん分かると思います。
私もお互い同じ時期に退会した者です。

そして、同じ時期に阿弥陀様のお慈悲を知らされた者です。
しかし、そんなことはどうでもいいのです。

貴方のお気持ちはよく分かります。
21世紀の人達と同じ心持ちです。
よく分かります。

ただ、貴方も分かられていると思いますが、阿弥陀様のお慈悲は底が
無いのです。
そのことを忘れないでください。
応援しております。

名無しにしないとばれてしまうものより

>名無し様

どなたなのか気になりますが、お互い退会でき、そして阿弥陀仏のお慈悲を知らされたようで何よりですね。

お言葉、肝に銘じておきます。私を助ける力がある時点で、阿弥陀仏のお慈悲には底がないことは痛感しております。私は阿弥陀仏の計らいのままに念仏を申して浄土への旅を歩むのみであります。南無阿弥陀仏
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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