正行と雑行

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

 正行と雑行の分別は、その源は善導大師の散善義(七丁)に就行立信を明かされるに就て、正行雑行の分別をなされていることに依ります。しかもその正行に五種を示されております。一に読誦、二に観察、三に礼拝、四に称名、五に讃嘆供養です。そしてこの五正行は専ら弥陀に就く行です。この五種以外一切の行業を雑行とします。法然上人は、選択集二行章にこれを承けて「雑行を捨てて正行に帰する文」と釈されてあります。善導大師の正意を得て、任運に前三後一のある第四の称名が正定業の正行であるとされるのであります。
 正行とは行体もとより弥陀の浄土へ往生するの因行として、弥陀の選取され給う行であり、雑行とは、往生浄土の行でない諸行を以て、弥陀浄土に発願廻向して往生に資するに名づけるのです。そして、その正行の五種所明の扱い方について論ずべき宗義があります。しかし今は、蓮師の御指南によって、一切の自力を全尽して弥陀名号に帰するを正行といたすのです。御文章(二の七)に、「もろもろの雑行をすてて、正行に帰するを以て本意とす。その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつることはりばかりなり」と示されています。この「もろもろの雑行をすてて云々」というものがこの意味です。
 だから、正雑二行はこの故に、また廻向せねばならぬ行と、廻向を要しないで、自然に往生の行となる行と区別することを得ます。
 法然上人は廻向、不廻向を明され、御文章(三の八)にも、弥陀名号は不廻向の行であると示されています。
 それ故に、正行に帰するとは、一切の自力の行業をすてて、法体廻向の大行を仰ぐに名づけるのです。だから「雑行をすてて正行に帰す」とは、一切自力のはからいをすてて、唯名号の御廻向を仰ぎ全托するばかりであることを示されるものです。
 要するに、この名号廻向の大行を仰いで、善もほしからず、悪もおそれなしという、いわゆる全く自己の行業に心を寄せないところの法義であります。

(p.62~p.63)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード