正信偈の内容(3)ー五劫思惟の本願

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

   一

 「法蔵菩薩因位時」からが、如来のおさとりの因果を示されるのです。法蔵菩薩は高い位のお方ですから、その願いはすべて真如法性にかなうています。だから、その四十八願の一つ一つは平等法身の位にあって起こされた高い願いです。真如にかなうた大誓願ですから、必ず成就します。そしてついに願いどおりに成就して、いま名号となって私たちに向かって喚びかけ給うてあります。昔のある和上は、毎日毎晩の勤行の時、五劫思惟之摂受のところにきますと、声がくもって涙にむせばれたということです。
 おたがい凡夫の浄土往生をひきうけてくだされた南無阿弥陀仏の六字の名号は、どうして出来たかと問いをかけてみればわかります。ただごとで出来たのではありません。五劫思惟之摂受です。これほどのご苦労を思うて先徳は涙にむせばれたことでありましょう。

   二 お勅命

 そして次の「本願名号正定業」から私たちの往生の因果が明かされてあります。
 如来は「われを一心にたのめ、われにまかせよ」と喚んでくだされてあります。しかし勅命の喚び声を聞いてみると、それをわが身にいただくことはやすいようでなかなかむずかしくあります。なぜむずかしいかというと、まだ如来の喚び声が聞こえないからむずかしいのです。それはどのように聞いているかといえば、たのんだら助かるが、たのまないから助からん、と聞いておるわけです。たのむものは助けるが、たのまんものは助けんという親心だと聞きちがいをしているのです。たのめとあるからたのまねば助けてもらえんと、聞いているから、どこまでいってもはっきりしないのです。如来の喚び声は、たのんだら助けるが、たのまねば助けんという、みずくさいものではありません。そなたが自分の力でたのめないことはよく知っているが、たのめないそなたにたのめではない。たのみえないことはわかっているから、この弥陀は永劫の間、もっときりつめていえば、そなたがこの世で息の根のある間に、一度は必ずたのませずにはおかない。一度は必ず口をあけて称えさせずにはおかないと、そなたがたのむまでは、どれほど待っても、喚んで喚んで喚びあがいて、必ず聞かせとどけて、たのむ身にしてみせる。このように喚ばずにはおれないのが招喚の勅命、本願の名号ですから、如来の勅命の中には、どうあっても助けねばおかんの如来の願心がこもらせられてあるのです。これを聞き得させてもらうところに、直ちに正定聚、この世を去れば無上涅槃をえさせられるのです。

(p.218~p.220)
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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