大経讃(2)ー「至心・発願・欲生と」のご和讃

「大経讃(1)」では19願和讃を前後も含めて拝読し、親鸞聖人のお勧めは18願一つであることを示しました。

しかし、親鸞会の現役会員の方によく理解して頂くために、1首ずつ見ていきたいと思います。

今日は、この御和讃についてです。


至心・発願・欲生と
十方衆生を方便し
衆善の仮門ひらきてぞ
現其人前と願じける



大意は次のようになります。

「第十九願には、自力をたよりにして自分の心を真実にして、往生を願い、浄土に生まれたいと願えと、十方衆生を方便誘引し、どのような善を修めてでも浄土往生を願えと、諸善万行によって往生を願う方便仮門を開き、この人々の臨終にはその人の前に来迎すると誓われた。」
(聖典セミナー 浄土和讃 黒田覚忍著 230頁より)


これは、親鸞聖人が19願のこころを説明なされた御和讃です。

それは、頭註に「十九(じゅうく)の願のこころ、諸行往生なり」とあることから知らされます。

この御和讃を『教行信証化土巻』のお言葉と合わせてみてみましょう。

「願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。」


【至心・発願・欲生と】

上の『教行信証化土巻』のお言葉にもあるように、19願の信について教えられたものです。至心・発願・欲生はすべて自力で起こす心です。


【十方衆生を方便し】

「十方衆生」とは19願の相手のこと。

「方便し」の方便とは、真実に対する方便のことで、「権仮方便」です。

上の『教行信証化土巻』では「方便権仮を顕開す」と教えられているので、「権仮方便」であることがよりハッキリします。

阿弥陀仏の本意は18願ですから、18願和讃では「十方諸有をすすめてぞ」と説かれていました。

一方、19願は、18願に直ちに入ることのできない者のために建てられた随他意の権仮方便の願ですから「十方衆生を方便し」と言葉を変えて教えられていることに注意しなければなりません。


【衆善の仮門ひらきてぞ】

19願の行について教えられた一句です。『教行信証化土巻』では「行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり」と教えられたことです。

衆善とは、諸善万行のこと。
仮門の「仮」とは、「権仮」ということで、真実ではないということです。


【現其人前と願じける】

19願文に「臨寿終時 仮令不与 大衆囲繞 現其人前者 不取正覚」とあり、19願は「臨終来迎」を誓われた願ですから、「現其人前と願じける」と御和讃を結ばれます。
(一言いっておきますと、19願は「臨終業成」であり、「平生業成」ではありません。)

以上のように、19願のこころを親鸞聖人が教えられた御和讃であることが分かります。


親鸞会では、「十方衆生を方便し」に注目し、


""「阿弥陀仏が、19願で、十方衆生(すべての人)に善を勧め、18願に導こうとされているのですね」

「『十方衆生を方便し』とありますから、この19願と無関係の人は1人もいないということですか?」

「そうです。19願、20願の方便二願は、真実の18願に転入する十方衆生の道程と親鸞聖人は見ておられます。19願を通らなかったら、信仰が進まないということがよく分かりますね」""

(弥陀の願心を伝える「善をしなければ信仰は進みませんよ」より引用)


と主張するので、最後にそれについて一言述べます。


【真実を用いるのが聖人の本意】

今日の御和讃にある「方便」は「権仮方便」であること、仮門の「仮」は「権仮」であることを説明しました。これらは、真実に対する言葉です。

そして、権仮方便でなく真実を用いるのが、親鸞聖人の本意であることは、次の『歎異抄』のお言葉から知らされます。

「おほよそ聖教には、真実・権仮ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちゐるこそ、聖人(親鸞)の御本意にて候へ。」

「権はすてて」、「仮はさしおきて」です。

すてるもの、さしおくものを教えられたお言葉を根拠にして、「善をしなければ信仰はすすみませんよ」と主張するのですから、親鸞会は聖人の御本意に背いているといわねばなりません。

「善をしなければ信仰はすすみませんよ」という邪説に惑わされることなく、本当の親鸞学徒になっていただきたいと思います。







(補足)

「十方衆生を方便し」と、「十方衆生」とあるから「無関係な人は一人もいない」とこだわっている方は以下の記事も合わせて読んで頂ければとおもいます。

『21世紀の浄土真宗を考える会』
生因三願の「十方衆生」についての考察
「十方衆生とはいうものの…」
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No title

質問させて頂きます。

>19願は、18願に直ちに入ることのできない者のために建てられた随他意の権仮方便の願

と仰いますが、親鸞会的にいえば、
「すべての人は阿弥陀仏の本願を疑い、自分の力でなんとかなると思っている。
ならばやってみよ、と十方衆生に自らの自惚れを知らせるために方便願を建てられた。
すべての人が、18願に直ちに入ることのできない者なのだ」
などと反論しそうです。

以前の記事に、
‘19願は聖道門の人を浄土門に導くために説かれた仮の手立て’
とありましたが、
なぜ聖道の人と限定できるのでしょうか?
また、逆に「18願に直ちに入ることのできる者」とはどういう人でしょうか?

・・なんかケンカ売るような言い回しになってしまいました。
すみません。。。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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