正信偈の内容(17)ー法を聞くとは、わかったということではなく本願の中にこの私が見いだされたのである(下)

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

 真宗は親鸞聖人によってあらわされた仏法であります。聖人は『大無量寿経』に依って、その法義を立てられました。その法義は『教行信証』等の著作にあらわれて、思想的にも深いものといわれております。
 たとえば、いま如来はどこにおいでになるのか。如来とはどのようなお方なのであろうか。お浄土とはどのようなところであろうか。などと多くの人は問うのでありますけれど、おそらくそれはどのように答えてもらっても、なかなか得心できぬことでありましょう。それゆえ、私たちが仏法を聞くということは、まずわが身を聞くことでなければなりません。人間とは何であるか。この世はどういうところであるか。人間はなぜ死ぬるのか。なぜ欲の心をもたずにおれぬのか、等々のことが一度眼をあけてみると自分の上に山の如くにあるのですが、一つとして答えられません。或は解決することのできぬことばかりであるのに驚くほかはありません。
 ここにおいて、仏法、つまり真宗は、こうしたことについて、私たちの日々の暮らしの上に聞かせてもらう法であること、またこの法を聞くことによって私たちの日々の日暮らしそのものの上に法が味わわれるのであります。わが人生はこの法によってお育ていただくほかはございません。
 大地の底から湧き出た源流一滴の水は、混々として流れ流れて、自らの姿を野に示し、里に示し、洋々として一切のものを浮べずにはやまぬように、すでに安養界に影現したもう大悲は、釈尊とあらわれ、宗祖とあらわれ、蓮師とあらわれて下さいました。これらの方々はいまの私に南無阿弥陀仏をあたえんがために、南無阿弥陀仏が姿をあらわしてくだされたのであります。この意味において、宗祖や蓮師のおさとしのうえから、大悲のみこころを聞かせていただかねばなりませぬ。

(p.256~p.261)
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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