【考察】「光に向かって進ませて頂きます」というフレーズについて(1)

「光に向かって進ませて頂きます」

ほとんどの会員さんが好んで使うフレーズです。当ブログを読んでおられる貴方は、今まで何回使ってこられたでしょうか?


もうすぐ新年です。年賀状や年賀メールでは会長や講師、会員同士で

「今年もより一層光に向かって進ませて頂きます」

というようなことを〆に書かれるだろうと思います。しかし、一体どれだけ「光」に向かったら、「光」にたどり着くのでしょう?
今までずーっと「光」に向かってきたのに、いつまでたってもたどり着けないのは、一体どうしてなのでしょうか?


また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。(信文類)

【現代語訳】
また、浄土門の中に横出がある。それは三輩・九品の機が定善・散善を修め、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教えである。

正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。(化身土文類)

【現代語訳】
正とは、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行である。助とは、称名以外の読誦・観察・礼拝・讃嘆・供養の五種である。雑行とは、正・助の行以外をすべて雑行というのである。これは、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善・散善や世福・戒福・行福の善を修め、三輩・九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えである。

阿弥陀仏の19願・20願は、二双四重の教判でいうと横出に分類されます。横出の教えとは、浄土門の中の自力の教えであり、仏教の目的であるさとりの完成(成仏)までに長い時を費やす漸教であり、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教えです。
「漸教」とか「遠まわりの善」というのは、一生や二生で片がつくのではありません。それこそ多生の間求めてようやく完成する道です。


「死ぬまで求道」とは、このような一生では片付くことのない果てしない道を、死ぬまで求め続けることを言うのです。
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No title

「光に向かって進ませていただきましょう。」
『光に向かって進ませていただきます。」
講師や会員とのやりとりで必ず最後に書かれていた(書いていた)フレーズです。
一体いつまで光に向かって進むつもりなのか?光に向かっているうちに寿命が来てしまうでしょう・・。
今救われていないという事実に、なぜ驚かないのか、と思います。

>mary様

このフレーズは私も会員時代よく使っていましたし、周りの会員もハガキやメールの〆の言葉に使っていました。今にして思えば、自分より何倍も活動している先輩方でさえ未だに救われておらず、「光」に向かっているというのに、自分などはあの教えではとても無理でした。



>一体いつまで光に向かって進むつもりなのか?光に向かっているうちに寿命が来てしまうでしょう・・。
今救われていないという事実に、なぜ驚かないのか、と思います。

→このように思える人の大半は去り、後は情報弱者、今までの苦労を捨てきれない人、周囲のために辞めない人などが残っていると思われます。
「飛雲」にもある通り、親鸞会の宿善論、三願転入の教えは善人正機の教義(実態は造悪無碍に近いか)でありますから、根本的に親鸞聖人の教えと違っています。まだ残っている方々に、早く間違った真宗教義から離れ、真実信心に基づいて頂きたいばかりです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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