釈迦と弥陀との関係(1)-仏の三身、二種法身

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第一章 阿弥陀仏の本願
 第三節 釈迦と弥陀との関係

 仏教では、仏身をいろいろに分類するが、親鸞聖人は法・報・応の三身説と、法性・方便の二種法身説を示されている。まず三身の中、法身とは真如法性そのものを仏身とするのであり、報身とは因願に酬報して顕れた仏身であり、応身とは衆生に応じて現れた仏身である。この三身に、さらに種々に変化のすがたを現す化身を加えると四身となる。阿弥陀仏は報身であり、この娑婆世界に出現された釈尊は応身である。親鸞聖人は「和讃」に、

 久遠実成阿弥陀仏 五濁の凡愚をあはれみて
 釈迦牟尼仏としめしてぞ 迦耶城には応現する(『浄土和讃』五七二)


と讃ぜられ、阿弥陀仏がこの世に出られたのが釈迦仏であると示されている。
 つぎに二種法身の中、法性法身とは、親鸞聖人が、

 法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。(『唯信鈔文意』七〇九)

と示されているように、認識を超え表現を絶し、また思惟すらおよばないものである。
 これに対して方便法身は、

 この一如宝界よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無礙光如来となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。(『一念多念証文』六九〇)

と示されている。
 すなわち、法性法身は認識・表現を絶し、衆生との接点を持ちえないから、衆生に知らしめるために、法蔵菩薩の発願・修行、阿弥陀仏の成仏と顕現されたところが、方便法身である。
 この方便法身は、顕現されたものとして衆生と接点を持つが、それをまさしく私たちに説き示すのは十方の諸仏であって、此土においては釈尊である。その釈尊によって阿弥陀仏の本願を説き開かれているのが『大経』であることは前節において述べたところである。(つづく)
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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