釈迦と弥陀との関係(2)-発遣と招喚、出世本懐、三経の隠顕

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第一章 阿弥陀仏の本願
 第三節 釈迦と弥陀との関係

(つづき)
 善導大師の「散善義」には有名な二河白道の譬がある。これは、絶体絶命の窮地に陥った旅人の前に、水火の二河が出現し、その中間に白道を見るが、この時此岸の勧める声、彼岸の喚ぶ声に従い、無事白道を渡りきるという話である。この此岸の勧める声は釈迦の教えに、彼岸の喚ぶ声は弥陀の本願に喩えられている。これを釈迦の発遣、弥陀の招喚というが、釈迦の発遣(教)によって弥陀の招喚(願意)を知らせていただくのである。
 『教行信証』の「教文類」は、真実の教を明らかにする巻である。そこで、「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」(一三五)と示され、その真実である所以を、出世本懐をもって証されている。出世本懐とは、釈尊がこの世界に応身として出現された本来の目的を意味する。これを、『浄土文類聚鈔』では、「三世のもろもろの如来、出世のまさしき本意」(四九七)と述べられ、あらゆる仏の出世本懐である旨を明らかにされている。そもそも、仏が世に出現されるのは、衆生救済のためである。その意味で真実の救済法である弥陀の本願を説くことを出世本懐とされるのは当然である。
 親鸞聖人は、三部経について、『大経』は裏も表も無く他力念仏(第十八願)が明らかに説かれたものであって、『観経』(観無量寿経)『小経』(阿弥陀経)は、表面は未熟な人々を誘引するために、それぞれ自力諸行(第十九願)・自力念仏(第二十願)を説きながら、その底には他力念仏という仏の本意が流れていて、それが、所によって表にあらわれていると見られる(これを隠顕という)。すなわち、「教文類」の標挙においては、『大経』を真実の教と示され、「化身土文類」の標挙(三七四)においては、『観経』の意、『小経』の意は、それぞれ第十九・第二十願を明らかにされたものと示しておられるが、三経を通じて釈されるところには、

 三経の真実は、選択本願を宗とするなり。(三九二)

と述べられ、また、『浄土文類聚鈔』にも、

 三経の大綱、隠顕ありといへども、一心を能入とす。(四九六)

と明かされて、三経ともに第十八願が明かされてあるとして、ひとしく尊崇されているのである。

(八~十二頁)
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平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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