願行具足についてー善導の六字釈、宗祖の六字釈、善導と宗祖

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第二章 名号のいわれ
 第一節 願行具足について

善導大師は、『観経疏』(玄義分)に、

言南無者、即是帰命、亦是発願回向之義。言阿弥陀仏者、即是其行。以斯義故、必得往生。
 南無といふは、すなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふは、すなはちこれその行なり。この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。(「行文類」引用、一六九)

 (「南無」というのは、すなわちこれ帰命であり、またこれには発願回向の意味もある。「阿弥陀仏」というのは、すなわちその行である。こういうわけがあるから、かならず往生することができる)

と、南無阿弥陀仏の六字について解釈されている。ここでは、南無阿弥陀仏の六字のうち、「南無」の二字が願、すなわち阿弥陀仏の浄土に往生したいという願い、「阿弥陀仏」の四字が行、すなわち阿弥陀仏の浄土に向かって進む力であって、南無阿弥陀仏の六字に願も行も具わっているので、かならず往生することができるというものである。
 親鸞聖人はこれを承けて、「行文類」に、

 爾者、南無之言帰命。……是以、帰命者本願招喚之勅命也。言発願回向者、如来已発願回施衆生行之心也。言即是其行者、即選択本願是也。言必得往生者、彰獲至不退位也。
 しかれば南無の言は帰命なり。……ここをもって帰命は本願招喚の勅命なり。発願回向といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり。即是其行といふは、すなはち選択本願これなり。必得往生といふは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。(一七〇)

 (そこで、「南無」の言葉は帰命と訳される。……こういうわけで「帰命」とは、如来が信ぜよとわれを招き喚びたもう仰せである。「発願回向」というのは、如来が因位の時に誓願をおこされて、今日われらの往生の行を与えてくださる大悲心である。「即是其行」というのは、如来の与えたもう功徳すなわち名号であって、本願の行者の上に相続の称名となってあらわれているものである。「必得往生」とは、この世で不退の位に至ることをあらわすのである)

と示される。
 ここでは名号を「帰命」「発願回向」「即是其行」の三義で解釈されている。このうち「即是其行」とは、衆生を浄土に往生せしめる力すなわち仏の智慧心をいい、「発願回向」とは、その力を衆生に施したいという願いすなわち仏の大悲心をいい、「帰命」とは、その願いと力が衆生に対して「帰せよ」と呼びかけつつあるすがたをとっていることをいう。この「帰命」「発願回向」「即是其行」のそれぞれは、六字全体についての解釈であって、衆生救済の悲智願行がすべて如来の側に成就され、現に衆生にはたらきかけていることをあらわしている。
 親鸞聖人はまた『尊号真像銘文』に南無阿弥陀仏の六字の解釈をされて、

 「言南無者」といふは、すなはち帰命と申すみことばなり、帰命はすなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて召しにかなふと申すことばなり、このゆゑに「即是帰命」とのたまへり。「亦是発願回向之義」といふは、二尊の召しにしたがうて安楽浄土に生れんとねがふこころなりとのたまへるなり。「言阿弥陀仏者」と申すは、「即是其行」となり、即是其行はこれすなはち法蔵菩薩の選択本願なりとしるべしとなり、安養浄土の正定の業因なりとのたまへるこころなり。(六五六)

と述べられている。「行文類」の六字釈では、名号そのものについて阿弥陀仏の救済のはたらきを示されているのに対して、この『銘文』の六字釈は、その救済が私たちの上にはたらいているすがたで示されるものである。
 先の善導大師の六字釈と宗祖の六字釈とを比べてみると、善導大師の六字釈は、二字と四字に分けて解釈したものであって、またもともと念仏一つでは阿弥陀仏の浄土に往生できないという他師の解釈に対して、必ず往生できるということを明らかにされるためにうち出されたもの、すなわち対外的なものであり、宗祖の六字釈は六字全体の解釈であって、南無阿弥陀仏の名号の内容本質をあらわしたものである。これによって、阿弥陀仏の名号に、衆生を浄土に往生せしめるはたらきがすべて具わっていることを明らかにされるのである。

(一七~二一頁)
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最近

最近の講演会は関与阿弥陀仏の本願を説かず要するに
善をするために善をせよと言っているような気がします。
これはどこかの団体の非難する歩くために歩く走るために走ると同じではないでしょうか?私は名号の功徳(月に行くチケット)の解説を詳しくしていただきたいです。誰か阿弥陀仏の本願を正しく詳しく解説している解説書をしりませんか?

>一生造悪様

阿弥陀仏の本願(18願)を説いていないのは確かです。
ただ「善をするために善をせよ」とは少しニュアンスが違うように思います。一応彼らなりの目的があるようですからね。
親鸞会教義を赤裸々に語れば、「雑行を捨てるために雑行をせよ」「雑修を捨てるために雑修をせよ」「自力を捨てるために自力一杯求めよ」でしょう。これでは永遠に雑行、雑修、自力は捨たらず、「歩くために歩く」「走るために走る」と同じで終わりなき道の礼讃であることは変わりません。

梯實圓著「本願のこころ」など如何でしょうか?

淳心房様へ

淳心房様さっそく返答ありがとうございます。
彼らの目的とは何でしょうか?はっきりと公言できないと思います。
阿弥陀仏の本願(18願)を詳しく説いた方が人も来ると思います。いかがでしょうか?教行信証信巻はじめ著書には選択の本願が詳しく解説されています。もし善が原因で往生できるなら具体的に実行方法がかかれてあるはずですが、そのような著書はありません。
雑行捨てて本願に帰せよこれ以外にないと思います。

>一生造悪様

目的は、一応は信心獲得、あるいは後生の一大事の解決です。しかし「信心獲得を目指して善をせよ」というのは、明らかに雑行を勧める形になりますから公言はしませんね。実際「何のために善をしているのですか」と問われて「善をすれば善果が返ってくる」などとお茶を濁すような話をする者もいます。
本願とは無縁の新興宗教に沢山の人が集まる様子を見ると、本願を詳しく説いた方が人が多く来るかどうかということは私には分かりかねます。ただ、仰るように真宗の教えは選択本願念仏のみ教えであり、捨自帰他以外にはありません。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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