本願の信心(1)ー三心・一心、三重出体

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第三章 真宗の信心
 第一節 本願の信心

 第一章第四節において述べたように第十八願文には至心・信楽・欲生と三心が誓われ、その成就文では信心歓喜(信楽)の一心で示されている。そして天親菩薩は『願生偈』の冒頭に「一心」(一四四五)と表白されてある。親鸞聖人はこの三心と一心について問答を設けて詳しく解釈されるのであるが(これを三一問答という)、その結論をいえば、至心・信楽・欲生の三心は信楽一心におさまり、その一心が往生成仏の正因であると示されるのである。
 本願の三心は衆生の上におこす三心であるが、この三心は阿弥陀仏によっておこさしめられる三心である。そこで聖人は機無・円成・回施・成一というふうにこれを解釈されてある。衆生の上には本来こういう心は無いというのが機無であり、だからこそ仏の側で成就されたというのが円成であり、仏の成就された心を私たちに施与してくださるというのが回施であり、それによって私の上に信楽一心が成するというのが成一である。これが他力回向の信心である。三心の一々について略示すると、至心とは真実心である。私たちの上には真実清浄の心はなく、如来の清浄真実が衆生の上に具したのが衆生の上で語る至心である。信楽とは無疑愛楽の意で、阿弥陀仏の救済に対して疑いをまじえない心相である。疑いとは阿弥陀仏の救済に心を閉ざすことであるから、これを蓋にたとえて聖人は疑蓋無雑といわれる。欲生とは当来には必ず浄土に往生できるという想いである。この三心について、「信文類」には三重出体ということが示されてある。
 まず至心釈には、

 この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。(二三二)

と、本願の至心の体は仏の名号であると示されてある。これを生仏相望の出体といわれる。衆生の信心は仏の名号を領受したもので、名号のほかに衆生の信心はない旨を明らかにされるのである。
 次に信楽釈には、

 すなはち利他回向の至心をもつて信楽の体とするなり。(二三五)

と、信楽の体は他力回向の至心であると示されてある。これを体相相望の出体といわれる。至心は信楽の体であり、信楽が至心の相である旨を明らかにされるのである。
 次に欲生釈には、

 すなはち真実の信楽をもつて欲生の体とするなり。(二四一)

と、欲生心の体は信楽であると示されてある。これは体義相望の出体といわれる。往生安堵の想いは信楽の義別であって、欲生心の体は信楽である旨を明らかにされるのである。この場合、信楽も欲生も衆生の心相であるが、名号を心に領受した心相を示すのは信楽であって、その信楽のところに、まちがいなく浄土に往生させていただくという義があることを示すのである。
 以上、三重出体の釈によって、至心は信楽の体であり、欲生は信楽に具する義であって、名号を領受した心相をいえば信楽一心にほかはないことが知られる。
 この信楽一心には名号の全徳すなわち阿弥陀仏の智慧と慈悲とを円かに具しているから往生成仏の正因となる。この一心正因の義を更に明らかにされるのが「信文類」の菩提心釈と信一念釈である。(つづく)



生仏相望…衆生と仏とを対応して見ること。
体相相望…体(本質)と相(すがた)とを対応して見ること。
体義相望…心相の上で体(本質)と義(いわれ)とを対応して見ること。
義別…信楽にもともとそなわっている義(いわれ)を別に開いたということ。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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