本願の信心(2)ー菩提心、信一念

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第三章 真宗の信心
 第一節 本願の信心

(つづき)
 菩提心というのは悟りを求める心であって、これをひらけば願作仏心(自らが仏になろうと願う心=自利)と、度衆生心(他の人びとを救おうとする心=利他)とになる。親鸞聖人は菩提心釈(二四六)において、自力と他力の二種の菩提心があることを示されている。自力の菩提心とは、勝れた能力を持つ菩薩方が悟りを求めて発す勇猛な心であって、私たちには到底発すことができない心である。これを『正像末和讃』には、

 自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず
 常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき(六〇三)


とうたわれてある。また、私たちは、たといこの菩提心を発すことができたとしてもそれによって修行を積むことが不可能である。すなわち先の「ご和讃」に続いて、

 三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき
 大菩提心おこせども 自力かなはで流転せり(六〇三)


とうたわれてある。この自力の菩提心に対して、如来回向の信心は菩提(悟り)を開くべき自利利他、智慧慈悲の徳が円かに具わっているので他力の菩提心といわれる。
 次に、そのような信心であるから、信心開発の即時に往生成仏の因が決定すると示されるのが、信一念釈である。これは、第十八願成就文によって信の一念をあらわされるもので、

 夫案真実信楽、信楽有一念。一念者、斯顕信楽開発時剋之極促、彰広大難思慶心也。
 それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。(二五〇)


と示されている。成就文の「乃至」とは一生涯の相続を省略する言葉であり、「一念」とは信初発の時を指す。これによって、信初発のとき「即得往生住不退転」の益を得る旨を明らかにされるのである。成就文の「即得往生」の「即」について、「行文類」には、

 「即」の言は願力を聞くによりて報土の真因決定する時剋の極促を光闡するなり。(一七〇)

とあり、これを今の信一念釈と照らし合わせてみると、信心がおこった最初の時は、また浄土往生が決定する時であるということになる。それゆえ浄土往生の因はただ信心のみであり、その他のものは往生の因決定についてなにも関与しないことがいよいよ明らかである。この信心は先に述べたように一点の疑いもまじわらない疑蓋無雑の信楽一心であり、また後に、

 言一念者、信心二心故曰一念、是名一心。一心則清浄報土真因也。
 「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。(二五一)


と、「一念」を心相について解釈され、信楽一心が往生成仏の真実の因であることを重ねて明らかにされている。
 また「乃至」の言葉は、一生涯の相続を省略した言葉であるから、この信楽一心は生涯相続するものであって、相続の称名はこの中に含まれるのであり、これを「真実信心必具名号」(後出)というのである。

(二六~三二頁)
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平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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