友人が矛盾と感じ、指摘した「一念の救い」

親鸞会教義は様々な矛盾を含んでいます。その一つが「一念の救い」です。
「一念」とは過去でも未来でもなく現在只今のことであり、言葉では表せない「いま」ということです。阿弥陀仏の救いは「いまの救い」「只今の救い」であり、それを「一念の救い」と言っています。


同じ大学出身で元会員の友人と真宗の教義・安心について触れる機会がありますが、友人は雑行に諸善があることを矛盾と感じたと言いました。
(※親鸞会では雑行に五雑行と諸善万行とがあると説くので、彼はこのような表現をしています。本来は雑行とは往生行としての諸善万行であり、五雑行は数多ある諸善万行の中の一例です。五雑行と諸善万行の二種類に分類されるものでもありませんし、「五雑行は心も行為も間違いだが、諸善はやらねば信仰は進まない」といったような珍説は真宗には存在しません)

友人が善をする理由について講師部員に聞いた所、

善をする

自力ではどうにもならんことが知らされる

心が弥陀に向く


と言われたそうです。じゃあ善をして自力ではどうにもならんことが知らされて心が弥陀に向くまでにどれだけかかるのでしょうか? 「あと3分で死ぬ人はどうするの?」という矛盾が生じます。『なぜ生きる』では、

「弥陀の悲願は徹底しているから、一刹那に臨終の迫っている、最悪の人を眼目とされている。もしあと一秒しか命のない人に、三秒かかるようでは救えない。一念の救いこそが、弥陀の本願(誓願)の主眼であり、本領なのだ」(p.343)

とあって、阿弥陀仏の救いにあずかるに「善をして自力ではどうにもならないことが知らされる」という条件が必要ならば、書いてあることと矛盾します。あと一秒しか命のない人に、そんな余裕はないからです。

友人がそこを指摘すると講師部員は不利を感じたのか、『あなたは必ず死ぬんだから本気で聞かないといけない』と、論点をずらしかなり論理を飛躍した話をしたそうです。

一念の救いと言いながら、全く一念の救いが説かれていない現実に、会員の皆さんはどうか気づいて頂きたいと思います。
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をっ

おなもおなじこと言われた

つまり、氏ぬ→高森教が正しいは飛躍しすぎててね

No title

救われる直前と直後を見れば一念の救いですが、救われる直前までたどり着くには光に向かって長い活動が必要だと理解していました。1回の聴聞で救われた話などは、その光に向かっての活動は気持ち次第で大幅に短縮できることを示したもの、もしくは過去世において救われる直前で死んだからだと理解していました。
このようにマインドコントロールされた人は、矛盾した話でも平気で両方信じることができます。

>絶倫坊様

親鸞会はこのようなことしか言えません。仰る通りかなりの論理飛躍です。しかし会員は脳内変換してつなげてしまうのです。

>名無し様

>救われる直前と直後を見れば一念の救いですが、救われる直前までたどり着くには光に向かって長い活動が必要だと理解

これはほぼ全ての会員がこのように理解していることと思います。本当に現在只今救われると思っていたら、光に向かうも向かわないも、信仰が進むも進まないもありません。親鸞会教義に従っていてもいつまでたっても只今救われないため、そのように脳内変換してごまかすしかないのです。

ちなみに一回の聴聞で救われたと言われる人は救われるために献金も勧誘もしておりません。親鸞会で推進される活動をしていないのに、どうしてでしょうね。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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