マインドコントロールされた人は、矛盾した話でも平気で両方信じることができます。(コメント欄より)

名無し様よりコメントを頂きました。有難うございました。

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救われる直前と直後を見れば一念の救いですが、救われる直前までたどり着くには光に向かって長い活動が必要だと理解していました。1回の聴聞で救われた話などは、その光に向かっての活動は気持ち次第で大幅に短縮できることを示したもの、もしくは過去世において救われる直前で死んだからだと理解していました。
このようにマインドコントロールされた人は、矛盾した話でも平気で両方信じることができます。

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ほぼ全ての会員がこのように理解していることと思います。私自身を振り返ってもそうでした。いわゆる「縦と横の線」で、縦の線は一念だが、その縦の線にたどり着くには横の道をずーっと進んでいかなければならないと思っていました。

なぜこのような理解になるのか。理由は「只今救われないから」に尽きるでしょう。
会員には「高森先生の仰ることに間違いがあるはずがない」という信心が頑としてあります。ところが彼らが絶対視する高森会長からいくら聴聞しても、また親鸞会で推進される活動に励んでも救われないし、周りにも救われたと喜んでいる人を聞きません。その時、会員はこのように考えます。

「どうしてだろうか? しかし高森先生に間違いがあるはずがない。
1、きっと自分の理解が浅いんだ。
2、きっと自分は宿善が薄いんだ。
3、きっと自分は信仰がまだまだ進んでいないんだ。
4、極難信と言われるように、他力の信心を獲ることは大変なことなんだ。
5、きっと自分は横の道を進んでいないんだ。
6、きっと自分は横の道の軌道にも乗っていないんだ。
7、きっと自分は光に向かって進んでいないんだ。
もっと真剣に聴聞しなければ。もっときちんとおつとめをしなければ。財施や法施も頑張らなければ」


1~7の他にもあるでしょうが、ぱっと思いつく理由を挙げてみました。どれも同じような内容ですが、人によって出てくる言葉が違いますから敢えて表記しました。
高森会長を疑えませんから、当然理由は自分の側にもってきます。そして、今まで聞いてきたことと照らし合わせて、救われない理由を考えます。最後に、「もっと〇〇しなければ」と、会で推進される活動に励むことで助かろう、救いに近づこうとします。ところが、そうして頑張っているのに救われません。また思い直して、いわゆる「光」に向かおうとします。けれども、それでもやっぱり救われません。
結局、会員は堂々巡りで同じ行動の繰り返しなのです。聞く内容や活動の中身は多少異なっていきますが、親鸞会で言うところの「流転輪廻」をしているのです。教義が間違っているため救われないのですが、高森会長をそれはそれは深く信じていますので、いつまでも騙され続けます。その中から活動についていけないか、「これはおかしい」と気づいた人は会を去るか、活動から遠ざかっていきます。ちなみに会員は退会者や活動に積極的でない者を「聞法の敗残者」などと見下しています。

日々活動に勤しんでいる会員の皆さんですが、時々耳目を疑う話が出てまいります。例えば、耳四郎は一回の聴聞で救われた人と言われています。親鸞聖人も、法然上人から聞かれて数ヶ月で獲信されたと聞いています。また、親鸞聖人が法然上人から聞かれるようになってから救われるまでに一生懸命財施や法施の活動をされたなどとは一切話されませんし、アニメ『世界の光 親鸞聖人』にも描かれておりません。それに、耳四郎は財施・法施の活動どころか盗みで生計を立てていた者ですが、それでも救われたことになっております。それに比べて、会員さん達は一生懸命に活動して、食べたいもの、飲みたいもの、買いたいもの、やりたいこと、皆我慢して仏法(親鸞会)に注ぎ込んでいるにも関わらず、一向に救われませんし、救われる気配すらありません。この差は何なのでしょうか?
親鸞会では、そのように僅かな法縁で獲信した人は宿善の厚い人で滅多にいなく、ほとんどは救われるまでに時間がかかる宿善の薄い人であると教えられます。また耳四郎は、その一回の法話をド真剣に聴聞したので救われたと親鸞会の先輩から聞いたことがあります。そういうことから名無し様のように考える人がほとんどであろうと推測します。
ですが、たとえば耳四郎が宿善の厚い人だったと主張するのは、イダイケが権化の人だったと主張するのとどこが変わるでしょうか? また、「ド真剣に聞いた」と言いますが、どの程度がド真剣に聞いたことになるのでしょうか? 法話の内容を一言一句違わず思い出せたらでしょうか? それは単に記憶力の問題ですね。いくら正確に思い出せてもそれで救われるわけではありませんし、それで救われるなら超エリートの人しか助かりません。何にせよ現在只今の救いを信じられず、救いを遠い先に眺めて、そこまで一歩一歩進んでいかなければならないかのように思い込んでいるゆえの理解です。

この思い込みの原因は、間違った教えと「高森先生信心」にあります。間違った教え、間違った教えを説く人の両方を絶対正しいと信じているため、教えと合わないようなことがあると、それを脳内変換してつなげてしまうのです。まさにマインドコントロールの為せるわざです。

浄土真宗は私が何かをして救いに向かっていく教えではありません。阿弥陀仏が何を為し給うかを教えられているのが浄土真宗です。いつまでも仏から逃げまどい、迷い続ける私を追いかけて「助けずばおかぬ」の阿弥陀仏の親心を聞かせて頂くのです。それが真宗の聴聞であります。
今年も終わりが近づいているように、人生も着々と終幕に近づいております。会員の皆さん、本当に今のままで満足ですか? 親鸞会に留まり続けて後悔ないですか? 自分の人生、決めるのは貴方です。よくよく考えて下さい。
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高森教だと、今≡今生では?
正しくは、今≡δ函数ではないかな?

会員が、退会者や活動に積極的でない者を「聞法の敗残者」のように見下すのは、周りの講師部員がそのようにするからです。そのようにして、退会予備軍の退会決意をくじこうとしているかのようです。恐怖政治的な嫌らしさを感じることでした。三界の大導師たる講師部員がそれでいいのか、と改めて思いました。そっでええんか!と。

>絶倫坊様

その通り、今生といっても今しかありませんし、親鸞会でもそう教えています。ところが会長は一方で、救われるのは横の道を進んだ先、つまり未来のことにしてしまっています。これを理解できない人は、洗脳されてしまっている人ですね。

>名無し様

必堕無間の恐怖と、そこから助かる唯一の希望という、いわゆる飴と鞭の使い分けによって会員を留めているのでしょうね。会長信心が強く、自己をよく見つめている人ほど引っ掛かってしまうと感じます。しかし、教えが間違っているため、いくら活動したところで助かりません。それは誰よりも活動しているはずの講師部員自身が一番よく分かるはずですが、彼らの仕事は会長の手足となって働くことですからね。会員さんの後生を本気で心配しているのか、怪しくて仕方ありません。
仰る通り、そっでええんか!と思います。

No title

全人類救われる教えと聞いたことがありますが、
会員さんはボロボロ亡くなっていかれてます。
獲信されてから亡くなられたのかな・・・。
誰も確かめられないで追悼法要の題材にされていそう・・・。

>名無し様

亡くなられた会員さん方の信心は正直分かりませんが、追悼法要のいい出汁にされているのは確かでしょう。全人類が救われる唯一の教えと言いながら、その教えを聞いている会員が救われていないのはどうしてでしょうね。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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