親鸞会に見られる二種深信の誤った理解

二種深信の意義ー二種深信、捨機託法、二種深信と信罪福心

にて二種深信とはどのような内容であるかを書きました。

二種深信とは、第十八願の信心、他力の信心を機と法との二種に開いて示されたものです。
一つである他力信を二種に開いて示されたもので、別々に並び立つ二つの心相ではありません。
ところが、親鸞会の書物を読んでいると、二種深信を別々に並び立つ二つの心相であるかのような解説をしております。一、二挙げてみます。

『こんなことが知りたい3』より
 二種深信といいますのは、二種の深信をいいます。
 深信とは、ツユチリ程の疑心もなくなった心をいいます。
 二つのことについてツユチリ程の疑心もなくなった心を、二種深信といいます。
 二つのこととは、一つは機に就いて、二つには法に就いてであります。
 機といいますのは、罪深い私達のことであり、法は阿弥陀仏の本願のことであります。
 金輪際助かり切らぬ己れの実態に、ツユチリ程の疑心もなくなったことを、機の深信といい、その私を必ず助けるという弥陀の本願に、ツユチリ程の疑心もなくなったのを、法の深信と申します。
(中略)
 信じたのも知ったのも、学問も修養もすべて間に合わず、堕ちるも助かるも判らぬ心一つが業に引かされて、地獄は一定すみかぞかしと、無間のドン底に叩き堕とされた時(機の深信)、
自力無功と他力不思議とは同時に働き、信心歓喜、歓喜踊躍とおどり上がり、阿弥陀さまこうまでして下さらなければ聞かない、しぶとい私でございました。(法の深信)
 どうしてこの御恩に報いようかと泣くより外にないのです。
 絶対の悪と名号が一体となった時、ツユチリ程の疑心もない極楽一定の法の深信が立つのです。
 このように堕ちるに間違いなし、助かるに間違いなしと、機法共にツユチリ程の疑心もなくなったのを、二種深信というのです。
 しかもこの二種深信は、堕ちるままのただじゃったと、弥陀と一体になった一念に同時に体得され念々に相続致しますから、二種一具の深信といいます。

(p.126~p.129)

『なぜ生きる』より
 誓願不思議に救い摂られ、無明の闇が晴れると、つぎの二つのことがハッキリする。
 「金輪際、地獄ゆきと、疑い晴れる」(機の深信)
 「極楽へ、必ず往けると、疑い晴れる」(法の深信)
 この二つが、同時に疑い晴れている心だから、「機法二種一具の深信」(二種深信)といわれる。
 「地獄一定」と「極楽一定」を同時に、どうして知ることができるのか。それか、どうかは別として、”絶対矛盾的自己同一”と言った有名な哲学者があったが、不思議としか言いようがなかろう。

(p.292~p.293)



また私は会員時代、このような親鸞会教義から、

・二種深信とは、地獄一定の自己と極楽一定の自己という二つの矛盾したことが同時に疑い晴れている心である。
・求道の末に地獄一定の自己が知らされた(機の深信が立った)と同時に法の深信が立つ。
・まず地獄一定の自己を知らされなければならない。そのためには光に向かって進まなければならない。高森先生から真剣必死に聞かせて頂くのは勿論、朝晩ちゃんとおつとめをして、家族や友人知人にも何とかお伝えをして、財施もさせて頂いて・・・


というように考えておりました。会員の皆さん、あるいは元会員の皆さんはどうでしょうか?

この理解は全く間違っていました。
まず、二種深信とは矛盾したことではありません。出離の縁なき私と、その私が本願力によってのみ出離し、往生を得ると深信したことを二種深信というので、何も矛盾はないのです。
次に、助かるのは長い求道の果てだと思っていましたがそうではありませんでした。求道の末も何も、只今必ず助ける本願であるとは知りませんでした。そしてその本願を聞かないでいた愚か者でした。
また、「地獄一定の自己を知らされなければ助からない」と、救いに条件をつけておりました。そのまま来いよの仰せとは、ほんに今まで知りませんでした。

会員の皆さんは、

・信仰を進めよう
・宿善を厚くしよう
・自力無功と知らされよう
・地獄一定の自己を知らされよう
・後生は一大事だと知らされよう
・・・・・・


こんなことにばかり気を取られていませんか?
機に傾き、機責めのような話を聞いて、機を責めるような活動をしていても、そこに「必ず助ける本願」が抜けていては助かる道理がありません。
親鸞会で決定的に抜けているのが「必ず助ける」阿弥陀仏の本願です。そして善悪因果の道理でもって本願の救いを理解しようとしているのですから、会員さんはいつまでも信罪福心(自力心)の虜です。
自力心にとらわれている間に無常が来たらアウトです。早く法が抜けた話であることに気がついて、必ず助ける本願を聞いて頂きたいと思います。
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No title

救われるには、

煩悩具足を救う本願だから
まずは、煩悩具足の私と知らなければならない。(29日の座談会より)

こんなことも言ってました。

>ため息様

http://d.hatena.ne.jp/masatomo18/20110501/1304218613
4月29日の親鸞会のテレビ座談会に参詣しました

に同じような内容の声が載っていますね。やはり機に傾き、機を責めるような説き方で、助ける法がすっぽり抜けてしまっています。
また、「親鸞聖人が比叡山で20年煩悩との格闘をされたのだから我々も煩悩と格闘して進まねばならない」というような調子で、参詣、献金、勧誘などをやらせていますが、それらに努めて助かろうとするのを自力というのです。
助ける法が説かれず、捨てよと言われる自力を勧めているのですから、まともに聞いていても獲信者は現れようがありません。嘆かわしいことです。

奇妙な二種深信

『こんなことが知りたい3』より
「絶対の悪と名号が一体となった時、」と書いてありますが、機と法が一体になるとは「機法合体」ではないですか。20願ですね
機と法はもともと一体「機法一体」の南無阿弥陀仏ですよ。
「弥陀と一体になった一念に同時に体得され念々に相続致しますから。。。」
弥陀とは元々一体だと言うのに、一体であったことに気付くのです。

>おか様

親鸞会では仏凡一体と機法一体を混同しています。それと伊藤師のパクリ損ないとでヘンテコな説明になっているのだと思います。こういう所でもおかしいですね。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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