「弘願の一法」に自力諸行を持ち込み、嫌われる雑行を勧めている親鸞会

親鸞会会員の社会人サークル

にて紹介しましたが、親鸞会的な思考が、「私が人生の目的(絶対の幸福、無碍の一道、信心決定)に向かって進んでいく」というものです。サイトの管理人もその思考を踏襲しています。
これは自分が聴聞、おつとめ、善などの自力諸行で、ある一定のライン(親鸞会では縦の線で表現される)まで進んだら阿弥陀仏に助けて頂けるという考え方で、絶対他力の救いに自力諸行の功を認めているものです。
このように言うと「親鸞会は自力無功を説き切っている」と反論が来そうですが、「善をしなければ信仰は進みませんよ」という教義が自力有功を物語っています。自力諸行によって本願の救いに近づく、逆説すれば自力諸行がなければ本願の救いには遇えないし近づけないわけですから、自力諸行は「本願の救いに近づき、救われるまでの手がかりになる」と功を認めていることになるのです。自力無功ならば、いくら自力諸行を積み重ねても救われないし、救われる所まで進むてがかりにもなりません。

・しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。(化身土文類)
・雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。(同)
・定散の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。このゆゑに第十九の誓願に、「もろもろの善をして浄土に回向して往生せんとねがふ人の臨終には、われ現じて迎へん」と誓ひたまへり。臨終まつことと来迎往生といふことは、この定心・散心の行者のいふことなり。(末灯鈔)
・たとひ万行諸善の法財を修し、たくはふといふとも、進道の資糧となるべからず。(口伝鈔)
・しかれば機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。(同)


などから明らかなように、自力諸行にいくら励んだとて獲信のもといともなりませんし、本願の救いに近づく手がかりにもなりえません。逆にそうして自力諸行によって助かる決勝点(縦の線)まで進もう、救いに近づこうという考えが自力の計らいです。定散の自心に迷い、金剛の真信に昏い考えです。
浄土真宗には、「他力の信心を獲るために自力諸行をせよ」という教えはありません。逆に阿弥陀仏に救われようとして修する諸行諸善を雑行と嫌われています。親鸞会はその嫌われている雑行を勧めています。このように親鸞聖人の教えと逆行しているのですから、長年聞き求めていても助からないのは当然です。

・そもそも、阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、(中略)さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。(御文章2帖目9通)
・かくのごとく阿弥陀如来の光明のうちに摂めおかれまゐらせてのうへには、一期のいのち尽きなばただちに真実の報土に往生すべきこと、その疑あるべからず。このほかには別の仏をもたのみ、また余の功徳善根を修してもなににかはせん。(御文章3帖目4通)


そして真宗は、弘願に要門と真門とを組み合わせ、要門、真門を通らねば(19願の善、20願の念仏を修せねば)弘願(18願)には入れないという、親鸞会流「三願転入の教え」などとたわけたものではありません。

たまたま仏法にあふことを得たりといふとも、自力修行の門は、末代なれば、今の時は出離生死のみちはかなひがたきあひだ、弥陀如来の本願にあひたてまつらずはいたづらごとなり。しかるにいますでにわれら弘願の一法にあふことを得たり。このゆゑに、ただねがふべきは極楽浄土、ただたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏申すべきなり。(御文章3帖目4通)

と蓮如上人も仰せのように、「弘願の一法」が真宗であります。親鸞会は「弘願の一法」に自力諸行を持ち込み、嫌われる雑行を勧めていますから真宗ではありません。そして実際は、活動が間違った珍しい教えを聴聞し布教するというものですから仏教にもなりません。【ツッコミ】「獲信のための(因縁としての)修善の勧めはない」への会員の反論(2)に書いた通り悪行の絶えない団体ですから、外道の集団です。

真宗は私が阿弥陀仏の救いに向かって進んでいく教えとは違います。仏から逃げ惑う私をどこまでも追いかけ、助けずばおかぬやるせない親心が教えられているのです。その仏の大悲心を聞かせて頂くのが真宗の聴聞です。会員の皆さんには早く外道の教えを離れて弘願の一法を聞き、本願を信じ念仏して今度の一大事の往生を遂げて頂きたく思います。「必ず助ける不可思議の阿弥陀仏の誓願力ぞ」と聞き受けて下さい。灯の風中に滅するが如くこの世の命が尽きる前に。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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高●教って改名しないかぎりは、追放する

まさるをネタムとかイミフなんだよね自分らがボケGさんのいうこと真に受けてんのに

>絶倫棒様

たとえ改名しても追放するのは確かですが、「浄土真宗」「親鸞」と言わなければ少なくとも今より非難は減るでしょう。非難の一つは、親鸞会は浄土真宗、親鸞聖人の名を語った、真宗教義とは違う、あるいは逆の事を説く宗教団体であるということです。

「親鸞会に人が沢山集まっている」ということを「まさるをネタム」と言っているのならイミフです。親鸞会など実稼働会員数はせいぜい1万人前後の小規模宗教団体ですから、会長の言う通り社会の水面にも現れていないというのが現実です。妬まれるというより相手にされていないと言った方が適切でしょう。仰る通り自分達を大きく見せようという会長の発言を真に受けているだけです。

水増ししてたんだ?

ぼったくり教団いっ●よ●高●教とかすれば被害者へるんだがね

国立大学としては、高●教としたら、追放できなくなるんよw 変えないとは思うがね

>絶倫棒様

幽霊会員、海外会員を含め全世界ではどれだけいるか分かりませんが、それでも日本の宗教団体ではTOP100にも入っておらず、認知度も低いです。

しかし大学生、社会人、中高年、高齢者など幅広い年齢の人々が必堕無間の恐怖に脅され、助かる道は「高森会長の話を聞いて、教え(高森会長の指示)に無条件服従するしかない」と信じ込まされています。被害者を最小限に食い止めるためにも絶倫棒様には活躍して頂きたいと思います。

いちまんにんだとしたら、正本堂は、ひとりあたりいくら?

>絶倫棒様

建設費が総額どれほどか知れませんが、80億円ほどとすると、1万人で割れば1人当たり80万円ほどになります。

あ、まだ現実的な金額か
土地は高●の?

>絶倫棒様

富山だから安いのではないでしょうか?
この話題は大分脱線したのでこの辺にしましょうi-229
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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