信心正因の意味ー信心正因、名号業因、唯信正因

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第三章 真宗の信心
 第四節 信心正因の意味

 第一節において述べたように、往生成仏の因は信心であり、また衆生を往生成仏せしめる力は名号である。第二章第二節において述べたように名号と信心は別なものではない。衆生を往生成仏せしめる力である名号が、衆生にはたらきかけ、衆生に至り届いたところが信心である。ゆえに、衆生の往生が決定するのは信一念においてであり、往生成仏のまさしき因は信心であるといわねばならない。これを親鸞聖人は『正像末和讃』に、

 不思議の仏智を信ずるを 報土の因としたまへり
 信心の正因うることは かたきがなかになほかたし(六〇八)


とうたわれている。
 これに対して名号もまた因といわれる。『尊号真像銘文』には、

 即是其行はこれすなはち法蔵菩薩の選択本願なりとしるべしとなり。安養浄土の正定の業因なりとのたまへるこころなり。(六五六)

とあり、この「即是其行」は第二章第一節で述べたように南無阿弥陀仏の六字の名号が衆生救済の力であることを示したものである。また、「正信偈」には「本願名号正定業」とあり、この業とは業因の意味である。業因とは原因となる力・はたらきという意味であり、この場合には往生成仏という果をひく力・はたらきということである。
 このように名号が因といわれるのは、ひろく一切のものの業因として成就され、十方一切の衆生を救済する法であることを意味し、信心が因といわれるのは、個人個人の上にその力がはたらきかけ至り届いたところに、その個人の往生成仏がまさしく決定することを示すのである。
 第一節において述べたように、信心がおこった最初の時は、また浄土往生が決定する時である。これは、浄土往生の正因はただ信心のみであり、それ以外のものはなにも関わらないことを示している。信心正因というのは、他になにものの力をもかりる必要がなく信心が往生成仏の因を完全に満足せしむることを意味している。これを唯信正因という。

(四四~四六頁)
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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