称名報恩の意義ー称名報恩、報恩の理由、称名の三面

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第四章 称名のこころ
 第三節 称名報恩の意義

 第一節において本題の「乃至十念」は信心の相続をあらわすものであることを明らかにした。すなわち、称名念仏は信心の相続をあらわすものであって決して口に称えるという行為が往生成仏を決定するのではない。親鸞聖人は「正信偈」に、

 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
 ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。(二〇五)


とうたわれ、称名念仏には報恩の意味があることを示されている。そもそも聖人の著作において、報恩の意味を示されるところは非常に多い。例えば、

 ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。(「総序」一三二)
 ……恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし。……、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていはく、(「行文類」偈前の文、二〇二)
 金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。……八つには知恩報徳の益、(「信文類」現生十益、二五一)
 ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろうて、恒常に不可思議の徳海を称念す。(「化身土文類」三願転入、四一三)


等である。これらは聖人ご自身、または獲信の行者についていわれることであり、逆に、

 真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。(「真仏土文類」三七三)
 まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし。……」といへり。(「化身土文類」四一二)
 仏智の不思議をうたがひて 自力の称念このむゆえ
 辺地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし(『正像末和讃』六一〇)


と、自力の行者は報恩のおもいがないことをも示されている。すなわち真実の報恩のおもいとは、阿弥陀仏の光明に摂め取られ、必ず往生成仏すべき身に定まったというよろこびにおいてのみ生ずるものであって、そのようなよろこびのない自力の行者には真実の報恩のおもいは生じないということである。称名が報恩であるということは、このような深いよろこびから自ずから口に出てくるものが称名念仏であるという意味であり、称名念仏する衆生のこころもちから報恩というのである。
 また、称名が報恩となる理由としては、一つには称名念仏とは讃め嘆えるという意味からであり、二つには称名念仏することによって衆生救済の力・はたらきである名号がひろまるという意味からである。ただし行者のこころもちはただ阿弥陀仏の光明によって摂め取られていることをよろこぶ深い感謝の思いから称えるのであって、ご恩返しのために称えるという意図はない。
 また、称名が報恩であるということは感謝のこころもちから出る称名念仏という意味であるから、称名念仏はそれによって何等の見返りをも期待しない無償性のものである。すなわち信一念によって往生成仏が決定した上においては、もはや往生成仏するために称名念仏を励むのではなく、以後の称名念仏は何等の見返りをも期待しない報恩感謝の念仏である。その称名報恩とは称名という行為が往生成仏の正因ではないということを意味している。ゆえに称名報恩とは信心正因に対する表現であり、信心が正因であるから称名は報恩であるということになる。
 本願に誓われた「乃至十念」すなわち称名念仏については、これを三つの方面からうかがうことができる。一つには阿弥陀仏が「乃至十念」と誓われたこころである。これは先に述べたように、信心の相続するすがたが、衆生にとってきわめて容易な行である称名念仏となることによって、どのような人々もそれをたもつことができるという阿弥陀仏の深くひろい慈悲をあらわすものである。二つには称名念仏とは、名号の活動しているすがたであり、衆生を往生成仏せしめる力が声というすがたとなって常にはたらきつづけているということである。三つには称名念仏とは、衆生の深い感謝の心から出るものであり、何等の見返りをも期待しない無償のものであるということである。このように三つの方面から称名念仏の意義をうかがうことができるが、このような三種の称名念仏が別々にあるというのではなく、同じ称名念仏が視点の違いによってその意義が異なってくるという意味である。この三つの意義は、全く無関係なものではなく互いに関連するものであるが、それぞれの意義を混同してはならない。例えば、衆生の称名念仏するこころが、自ら称名念仏することによって往生成仏すると考えて称えるものであってはならないのである。

(五四~五九頁)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード