19願の善の勧めとは、臨終の来迎を期待し、方便化土へ往生するための善の勧めです

【ツッコミ】「獲信のための(因縁としての)修善の勧めはない」への会員の反論(4)に名無し様よりコメントを頂きました。今日はそれについて思ったことを書きます。

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かつては「親鸞聖人の教えに善の勧めはある」と言っていましたが、今ではそのようには言わず「阿弥陀仏の19願に善の勧めがある」ことを強調し、このことから「だから当然、親鸞聖人の教えにも善の勧めはある」と思わせようとしている感じです。
親鸞聖人が19願をどう見ておられるか、どう位置付けておられるかは大変重要なことなのに、そこが全く教えられてないのですね。

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全くその通りです。
かつては本願寺との宿善論争で、本願寺側は「他力の信心を獲るために善をせよという文証はない」と主張していました。『本願寺なぜ答えぬ』には、

「親鸞会は、宿善として自力諸善を積むように勧めているが、当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」(p.80)

と灘本愛慈師の文献を引用しています。しかし高森会長は論点をずらし、「親鸞聖人の教えに善の勧めがあるのか、ないのか」が争点であるとして『本願寺なぜ答えぬ』を出版しました。問題にしているのは単に世俗的な善の勧めの有無ではなく、「他力の信心を獲るための」善の勧めの有無なのです。会員は会長や幹部講師の巧みな詭弁によって、すっかり親鸞会が正しく本願寺は間違ったことを言っていると信じ込まされています。
それが今日、親鸞会教義の誤りが暴露され、いよいよ苦しくなった親鸞会は阿弥陀仏の19願文を盾に修善の勧めを言い出しております。名無し様が指摘されていることです。

19願は「修諸功徳の願」ですから善の勧めがあるのは当然です。しかし、どういう善の勧めなのかということをよく知っていなければなりません。19願とは、

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。

とあるように、「菩提心を発し、至心・発願・欲生の心で諸々の善を修めた者を臨終に迎え引接し往生させる」という、臨終来迎を誓われた願です。そして往生するところは方便化土であります。つまり、臨終の来迎を期待し、方便化土へ往生するための善の勧めなのです。他力の信心を獲るための善の勧めではないことがお分かり頂けるでしょうか? 18願による平生の救い、報土往生を願う者に臨終来迎・化土往生を誓われた19願の行を勧めるなどちゃんちゃらおかしいのです。
他にもおかしいところがあります。まず、【ツッコミ】善をしなければ信仰は進みませんよ(5)に書きましたが、至心・発願・欲生の心で修諸功徳の善を修めなければ19願の善とは言えません。恩徳報謝賞や顕正精進賞などで意欲を駆り立てるのでは、至心・発願・欲生の心での善を勧めていると言えるでしょうか?
次に、【ツッコミ】善をしなければ信仰は進みませんよ(6)で示したような会長、講師、信者の団体が親鸞会です。善といっても名ばかりで、実際会員がやっていることは親鸞会への献金と会員獲得の勧誘であり、そのためには手段も選ばず妄語、偽装勧誘を繰り返しています。これでは悪にほこり、悪を勧めている外道と言えるでしょう。善の勧めなどと言っていて恥ずかしくないのでしょうか?
そして、【ツッコミ】善をしなければ信仰は進みませんよ(7)で示したように、往生行としての諸善万行(阿弥陀仏に救われようとして修する諸善万行、信心獲得するために修する諸善万行、と理解したらよいです)は雑行です。会員の目的は『親鸞学徒聖則』に

一、信心獲得することを本と致します。

とあるように信心獲得し、往生成仏することでしょう。高森会長は会員に嫌われ捨てよと言われる雑行を勧め、雑行をやらせているのです。捨てよと言われる雑行を拾えと言っているようなもので、親鸞聖人の教えとは真逆です。
更に、阿弥陀仏の19願の願意を説き顕されたのが『観無量寿経』であり、修諸功徳の善を定散二善で示されているのですが、私達にはそのような定散二善を修めることができません。私達は仏法修行の器ではないのです。親鸞聖人はその事を、

しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」(定善義)といへり。(化身土文類)

と説き示されています。それに、先ほど示し、【ツッコミ】善をしなければ信仰は進みませんよ(8)でも紹介したように、19願の善を修められたとしても、その結果は臨終来迎による化土往生です。18願による平生の救い、報土往生を求める人に19願の善をせよとは、善知識方のどなたも教えられていない珍しい教えです。

親鸞聖人は、直ちに18願の救いを受け入れられない未熟な機をも見捨てることなく導こうとされている阿弥陀仏の大悲を19願、20願の上に読み取っておられます。それを明らかにしたものが「化身土文類」ですが、『教行証文類』の構造すら理解できない会員は親鸞会流「三願転入の教え」に固執し、未熟な自分には方便が必要なんだと思い込んでおります。【ツッコミ】善をしなければ信仰は進みませんよ(9)で書いたように、あと1分後には命はないかも知れません。信仰だか何だかが進むだの進まないだのと悠長な話をしていて、会員は一体いつ助かるつもりなのでしょうか?

無常を無視し、親鸞聖人の教えと真逆なことを平然と正しい教えのように説く高森会長には、全人類どころか一人も導く資格はありません。自分の息子のオイタでさえ止められず、勘当もできないばかりか、糾弾した講師部員を裁いているのですから当然です。会員の皆さんには大分厳しいことも申しておりますが、私が願っていることは早く親鸞会教義という邪説から離れ、真実信心に基づいて頂きたいというものです。高森先生信心の強い人には聞き入れ難いでしょうが、仏縁を念じております。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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わたくしのような、●●具足のぼんぷは19&20より、18優先?

>絶倫棒様

18願優先と言いますか、18願のみに依るしかないと言ったほうがよいでしょう。
19願の自力諸行による往生、20願の自力念仏による往生はいずれも化土往生であり、親鸞聖人は化土往生を大変厳しく誡めておられます。19願の善、20願の念仏を勧めるということは、結果から言えば化土往生を勧めているもので、親鸞聖人の教えと真逆です。珍説は頭から消去して頂いて、18願のこころを聞いて下さい。

聞き方がわからんと

>絶倫棒様

聞き方を尋ねるということは、「自分の方でうまいこと聞いたら助かるのでは?」ということで、これは自分を問題にしている自力心から出ています。
私の悪き機の方は問題にせず、「必ず助ける」と誓われた本願をそのまま聞いて下さい。本願を聞くのが信です。

どうやって?

なんもしないわけにはいかんだしょ?

したら、弥陀の本願知らん人とかわらない

>絶倫棒様

その「どうやって?」「なんもしないわけにはいかんだしょ?」が自力の計らいです。この迷いの世界を出て離れ、さとりの境地に達するということは、私が智慧をめぐらせて考えてもどうにもならない問題です。これは阿弥陀仏が問題にし、阿弥陀仏が計らわれていることですから、私がいくら問題にしても解決どころかこざかしい智慧が阿弥陀仏の邪魔をしているのです。
阿弥陀仏は既に私を助ける法を南無阿弥陀仏と仕上げて下さいました。そして南無阿弥陀仏を聞けよと仰せられておりますから、私達はその仰せに従い、南無阿弥陀仏のいわれ(18願のこころ)を疑いなく聞き受けるばかりです。

ぎぶっ
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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