一益法門的理解の親鸞会

煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらくといふこと。この条、もつてのほかのことに候ふ。(『歎異抄』第15条)

往生浄土の意義(1)-正定聚と滅度

にて書きましたが、親鸞会の会員は信心決定ということをこの世でさとりをひらくことだと勘違いしているきらいがあります。それは高森会長の珍しい教えのせいです。
勿論、こういうと親鸞会としては、「現生では正定聚、当益として滅度と教えられている。この世でさとりをひらくなどとは教えられていない」と反論するでしょう。しかし、会員の皆さんは、信心決定すると

・自己の過去、現在、未来の三世が明らかになる
・因果の道理を深信させられる(この場合の深信とは「ツユチリの疑いなくハッキリ知らされるの意」)


などと考えてはいないでしょうか? これはこの世でさとりを開かねば到底判らないような内容であり、一益法門的な理解です。
私はまさにそうでした。以下、そのように考えた文献を紹介します。

『こんなことが知りたい1』
故に、只今の一念を徹底的に叩けば、昿劫流転して来た自己も明らかになるし、未来永劫の後生の一大事も知らされることになります。それは「自身は現に罪悪生死の凡夫、昿劫よりこのかた常に没し、常に流転して出離の縁あることなしと深信す」
と叫ばれた善導大師のお言葉でも明らかな事実です。
 これを『因果経』には、「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」
と説かれています。これは、過去を知りたければ現在を見よ、未来を知りたければ同じく現在を見よ、現在とは悠久の過去と永遠の未来とを包含しているものだと教えられたものです。(p.17~p.18)

『会報第一集』
 仏教では人間が生れ変り死に変りする。それも犬や猫や馬になったりするということだが、それは本当の話かという質問を屡々受ける。これから先のことは判らぬが過去では筆者は色々のものに生れ変ったと思う。筆者は犬や猫が好きだから、五、六年前からシェパードと猫を飼っているが、彼らの日常生活から、その気持がよく判る。
 言葉こそ通じないがその気持はよく知られる。彼らの気持が自分によく判るということは自分も何時の世にか犬や猫であった証拠ではないか。そう考えると牛の気持も判るし馬の気持もわかる。蜻蛉や蝶の気持も判るし、蝸牛や蜥蜴や蛇の気持さえ判るような気がする。
 筆者は過去で何にでも生まれていたと思われるのである。(p.45)

『浄土真宗親鸞会公式ホームページ』仏教の根幹・三世因果の教えと″今″を強調された親鸞聖人
されば仏教の根幹・三世因果の道理は、現在の自己を徹見せよ、現在の自分が明らかに知られれば、過去も未来も皆分かると教えられている。

『親鸞会.NET』
このように善因善果、悪因悪果、自因自果の因果の理法を離れて仏教はあり得ませんが、それは単に現在一世にとどまらず過去、現在、未来の三世を貫いて説かれているところに仏教の因果律の精粋があるのです。
これを三世因果といい、仏教の旗印となっています。故に仏教を深信するということは三世因果を深信するということです。
では過去、現在、未来の三世はどのような因果関係によって成立しているのか。
『因果経』には、
「過去の因を知らんと欲すれば現在の果をみよ。未来の果を知らんと欲せば現在の因をみよ」
と至って鮮明に説かれています。
過去の因は現在の果に現われており、未来の果は現在の因によって発現するのだから、現在の自己の上に無限の過去と永遠の未来を知見できることを教えているのが三世因果の理法であります。


他、説法や講師の話から信心決定の事を深信因果とも言うと聞いていましたので、とにかく信心決定というのは三世を見通す智慧が具わるものすごい体験なのだろうと想像していました。
しかし、本願を信じ念仏する身にして頂いたものの、私は自力では迷いを離れ得ない者であることと、その私を阿弥陀仏が摂取して下さったことしか判りません。無限の過去を知見どころか前世すらわかりませんし、浄土の様相が見えるわけではないため後生どのような所へ生まれるかも想像つきません。仏のさとりを開いたわけでもあるまいし、三世も因果もハッキリと判るわけではありません。
まぁこのような教義がおかしいことは、信心決定して因果の道理を深信しているはずの高森会長が、因果の道理に明らかに反しているような事を数々行なっている事実により明白です。現役会員の皆さんには、いつまでもおかしな教義にしがみついていずに、親鸞会という組織や高森会長の本当の姿をアキラカニミテ身の振りを真剣に考えて頂きたいと思います。
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さとりをひらくってなに?

●森は、量子と古典ごっちゃまぜでイミフだった

>絶倫棒様

さとりの内容は様々にありますが、自分と他を区別せず同一のものとみなしていく無分別智、三世を見通す智慧などを身にそなえることをさとりを開くと言います。今述べたのは、親鸞会では

・自分の三世を知ることができる
・阿頼耶識に収まっている業力を知ることができる

と言わんばかりの教義を説きますから、それはさとりを開いた者でなければ伺い知れない領域でありおかしいということです。

矛盾するものを結びつけているのが彼ですから、イミフなのは当然です。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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