「人生の目的」を達成して生命の尊厳さを知らされているはずの人が、こんなことを仰るでしょうか?

親鸞会では、会長や講師、会員が話をする時はいつもお決まりの縦と横の線を書き、縦の線の左側に

「人生の目的」
「絶対の幸福」
「生命の歓喜」


などという語を連ねます。親鸞会の話を聞いて、「人生の目的」を達成したら生命の歓喜が湧きおこり、生命の尊厳さ、「人命は地球よりも重い」ということなどがハッキリ知らされると思っている会員もあるのではないでしょうか? 私は会員時代そう思っていました。例えば『なぜ生きる』には、

 自分の生命が地球よりも重いと知れば、「ハズレくじ」を捨てるように、ビルからの投身も、他人の命を虫けらのように奪うことも、できるはずがありません。
「人生には、なさねばならない目的がある。どんなに苦しくても、生き抜かなくては」
と、生きる目的が鮮明になってこそ、生命の尊厳が知らされるのです。(p.45~p.46)

 臓器移植までして、なぜ生きるのか。苦しくともなぜ自殺してはならぬのか。人命は地球より重いといわれるのはなぜか。数多い人生論が曖昧模糊で終わるのは、生きる「目的」と「手段」が峻別できないだけである。(p.348)


と書かれていましたし、会長や講師の話にも多々そのような話がなされていたからです。


では、その「人生の目的」を達成して生命の尊厳さを知らされているはずの人が、こんなことを仰るでしょうか?

先程の腕の1本や2本のお言葉に加えられまして、親鸞聖人はさるべき業縁のと仰っておられるけれども、わしがおったら、本当に右手を失っておっただろう。
もしそういう切れる物っていうのがあったら、もう血の海になっていただろう。どんな報道をされようが、誰が止めようが、わしは止まらなかったと…(「何これ?」より)

「あの時に(辞めていく者ですね)、ワシがおったら手の一本や二本はかちおっとる。この会館から絶対に出させん。ワシがいなかったから生きて帰れたんや。よかったと思わな(いといけない)」と仰いまして(「腕は何本もないよ」より)



会員の皆さんは普段、高森会長の美談、讃嘆しか聞かされていないと思います。ところが講師部総会などではこのような「会長先生がこんなことを?」と耳を疑うような話がなされているのです。説法ではきれいごとを言っていても、会員の知らないところではトンデモ発言やトンデモ行動をしていることが録音資料から読み取れます。録音資料は氷山の一角に過ぎないでしょう。

親鸞会教義は大沼法竜師、伊藤康善師のパクリにS価の思想や組織拡大法が入り混じった寄せ集め教義です。高森会長の信心は、文章から二種深信(機の深信)と罪悪観との区別がついておらず、真実信心なのかどうか甚だ怪しい信心です。また高森会長は、「親鸞会教義の誤り」に対する教義批判の回答を要請した特専部員を除名するなど、教義批判からはことごとく逃亡しています。このように教義が間違い、信心も怪しい、批判に答えられない、の三拍子揃った者を「唯一無二の善知識」などと崇め奉っているのが親鸞会の実態です。
なのに、会員の皆さんは一体何を根拠として「高森先生に間違いない」と堅く信じて疑わないのでしょうか? 講師や周囲がそう言うから? 何年、何十年と信じてきて、今さら間違いだと言われても困るという我身の欲? 根拠を引いて一応もっともらしい話をするから? いくら親鸞会批判から耳をふさいで「高森先生に間違いない」信心を固めていたところで、臨終には吹き飛んでしまいます。高森先生信心は、金や財、地位や名誉、親や妻子、健康や才能を信じているのと同類項、同程度の信心です。そんな程度の信心では死出の山路の末、三途の大河の前には役に立たないことなど耳タコのはずです。真剣に我が身の後生を思うなら、早く打ち崩して真実信心に基づき、本願を信じ念仏して今度の一大事の往生を遂げて下さい。
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コメントはあした み 

私も会員時代は、高森先生信心を持っていました。何を根拠に「高森先生に間違いない」と思っていたのかと考えると、一つには、高森会長が話す無常の話には真に迫ったものを感じ、この人はかつて徹底して死を恐れたのだろうと思ったことがあります。そのような人が、今は死を乗り越えたと話している(例の、みのもんたバリの"断言口調"で)。死を乗り越えた、というようなことは、意地や我慢やポーズでは言えないと思ったので、高森会長は「恐れを知って、しかもそれを克服した」人に思えて、頼もしさを感じたのです。個人的には退会した今も、高森会長は本当に死を乗り越えた人だろう、真実信心の人だろうと思っています。でも親鸞会の裏側を知るにつれ、それだけでは付いていけなくなったのです。しかし、人生最大の苦を乗り越え絶対の幸福になった人が、なぜあそこまで会員さんから搾取するのでしょう。しかも搾取のためには教えをねじ曲げる必要があるから、その教えを聞く会員さんにとっては二重の不幸です。まことに煩悩具足とはいいながら…。

>広島の名無し様

いわゆる「機」の部分について「その通りだ」と思っていたのですね? 私もそうです。私は人間の実相が真実だと思ったので、助かりたいと思って続けていました。ところが親鸞会で説かれる「法」までも正しいと信じてしまったのが誤りでした。

助ける「法」がめちゃくちゃだから救われる人がほとんどいないのだし、信心決定あれかしとは口だけなので組織的にも様々におかしい点が出てくるのです。

会長の信心のほどは分かりかねますが、教義と組織がおかしいのは目に見えますから分かります。会員さんはおかしなものをおかしなものと正見できるかどうか、これにかかっていると言ってもよいでしょう。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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