私が苦労するのではありません。如来のご苦労を聞かせて頂くのです

クレジットカードの更新ハガキの記事に名無し様からコメントを頂きました。本日はそれを紹介し、読んで感じたことを書きます。


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流した涙の一滴一滴が、真珠の玉となって戻ってくる


最近これは嘘で人を騙すためのタームとして使ったのだろうと思っています。
涙はそんな見返りを期待させるために流させるものじゃないと思います。
その後で涙が流れるのでしょうが・・・・。

世の中にはいろんな涙があると思います。

皆で獲信していたらそれはそれは歓喜の涙だったかもしれません。
頑張った甲斐があった、涙を忍んでよかった云々。
法雨を忘れると自分の涙ばかり見そうですね。
これも信前の私には分かりませんが・・・。

退会して涙が流れる都度に過去が洗い流されていきます。
一皮剥けていくように感じます。
思い出として振り返る涙ならば真珠ではなく泥の玉のようです。
その泥の玉も涙で溶かして捨てていきたく思います。

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「嘘で人を騙すためのターム」というのは全く同感です。

「流した涙の一滴一滴が、真珠の玉となって戻ってくる」というと、私の努力、苦労が報われるかのような印象を受けます。「苦労が報われる」というならば、私の苦労が報われるのではありません。阿弥陀仏の五劫思惟のご苦労、兆載永劫のご苦労、十劫以来お立ちづくめのご苦労が報われるのです。阿弥陀仏が私一人を助けるために五劫思惟され、私一人を助けようと兆載永劫のご修行をされて南無阿弥陀仏の名号を成就され、十劫以来私一人目がけて喚び続けて下されていたご苦労が報われるのです。
ここを勘違いして「私の苦労が報われる」と思っているから、珍しい教えを聞いて「光に向かって進ませて頂きます」「善をしなければ信仰は進みません」と言っておれるのです。阿弥陀仏の救いにあずかるに、私の努力、苦労というものは無関係です。往生行としての諸善万行(「阿弥陀仏に救われようとしてやる諸善」と理解したらよいです)は雑行であり、親鸞会は捨てよと言われる雑行をやらせているのです。会員は雑行をやりまくり、そうやって苦労を重ねる度に「信心獲得した時に一切の苦労が報われるんだ」などという思いを強くします。自力の計らいの典型例ですね。こんな思いを後生大事に持っているから「只今救うぞ」の大悲招喚の勅命を聞き受けることができないのです。
かと言って勘違いしてほしくないのですが、「じゃあそういう思いを捨てたら聞けるのか?」というとそうではありません。「私が何かしたら聞ける」というのは自力の計らいであり、それは本願を聞くところに廃るのであって、自分で捨てようとして捨てられるものではありません。自力の計らいは常に救われる方法論を模索し続ける厄介者ですが、私の側に救われる方法論などありません。方法論が無いから「只今救うぞ」の仰せを聞くのです。如来の方から聞こえて下さいます。私が弥陀の救いについて何か特定の概念(「こうしたら救われる」「救われたらこうなる」「救われる瞬間はこうだろう」などという思い)を抱いて聞こうとすると、その思いを優先して如来の本願を撥ねつけます。そんな概念は「こうあってほしい」という私の「欲」です。本願は私の欲を満たすためにあるものではありません。計らいがむくむくと出てきたら「これは自力の計らいだな」と整理をつけて、ひたすら如来の仰せを聞いて下さい。仰せをそのまま聞く以外に何もありません。

人生の目的(弥陀の救い)と人生の目標(趣味・生きがい)は全く別物だと言いながら、人生の目的達成は自分の努力の延長線上にあるかのように説く親鸞会は、明らかに矛盾しています。往生のためには私が善をするとかしないとかは全く関係ないのに、関係づけて善もどきの善(献金、勧誘等)を勧めているのです。最近の親鸞会は善もどきの善の勧めがなりふり構わず、『飛雲』19願で阿弥陀仏が勧められている善は雑毒の善だ?????で紹介されているようにとんでもない邪義を唱え出している始末で、呆れて物が言えません。19願のどこに「雑毒の善でもいいからやりなさい」と仰っていますか? 「発菩提心」「至心発願」ですよ。本願どころか19願もねじ曲げる誹謗正法の団体です。
善をするのがよいことなのは当然ですが、別にそれは親鸞会にいようといまいと関係ありません。それどころか親鸞会で勧める善の大半は「親鸞会にとって都合がよいこと」であり、それを実践するためには「偽装勧誘」「嘘」等の悪を犯しても平気な者達ですから、そんな外道から離れて実践した方がよほどよいでしょう。会員の皆さん、これ以上親鸞会で活動して貴方に何の得がありますか? 長年苦労してこられたでしょうが、肝心の信は獲得できましたか? 今から死ぬまでに親鸞会についていって助かる見込みはありますか? 今死なねばならないとなったら後生大丈夫ですか? 他力回向に反して自力回向的な教えをさんざん聞かされているのですから、それをまともに実践していても助からないのは当然の話です。こちらが苦労(活動、努力)しなければならないのではありません。如来のご苦労を聞かせて頂くのです。今、ここで、私一人のためのご苦労を。

過去を思い出してつらいのは私もよく分かります。覚えた善知識方の直のお言葉以外は捨ててしまって構わないと思います。名無し様はご自身のことを信前と仰っていますが、ぜひとも如来の仰せ、如来のご苦労を聞いて下さい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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阿弥陀さまの私一人を助けるという仰せを私が受け入れて、疑いなく往生するぞと思いとりて南無阿弥陀仏と申した時、阿弥陀さまの五劫兆裁永劫の涙が報われたと受け止めて南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申しております。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

> 純朗房義信様

共に何の因縁あってか弥陀の本願に遇わせて頂き、本願を信じ念仏する者にして頂けたのかと不思議不思議の他はありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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