親鸞会の法話は19願に始まり19願に終わる(コメントより)

広島の名無し様よりコメントを頂きました。ありがとうございました。

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親鸞会においては、高森会長が主役となり、阿弥陀仏を脇役に据えてしまっている感がある。また、親鸞会の法話は19願に始まり19願に終わる。18願が小さく霞んでしまっている。
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まさにその通りです。

これは高森光晴布教局長に対する会員の態度ですが、会員は阿弥陀仏に挨拶する以上に気合いを入れて、真剣に挨拶をしていると感じます。私が会員だった頃は、法話や教学講義の休み時間に、布教局長へ挨拶するために長蛇の列ができていました。私は親鸞会の学階では大講師だったので、教学講義の時などは布教局長の少し後ろまで行くことができましたが、そこから会員の挨拶を眺めていると実に奇妙でした。復習もせずに我先にと、あるいは後に続けと挨拶に押し掛け、法話が始まるギリギリまで並んで、そんなに布教局長に自分や自分の地区のアピールをしたいのかと不思議でなりませんでした。挨拶を締めくくる際に頭を絨毯にすりつけて土下座状態の人も少なくありませんでした。おそらく今もそうなのでしょうが、布教局長に対してさえそうだということは、高森会長に面した時の会員の態度はおおよそ見当がつくと思います。親鸞会は本尊こそ南無阿弥陀仏ですが、会員の心は明らかに南無阿弥陀仏ではなく高森会長に向いています。会員にとってのナンバーワンは阿弥陀仏ではなく高森会長なのです。

また、これも私が会員だった平成21年当時は、会長の話がいつも19願で終わっていました。まさに「19願に始まり19願に終わる」というのがピッタリの内容でした。縦と横の線であればいつも右端の方の話ばかりで、肝心の18願のこころ、他力信心のおもむき、一念発起平生業成の義については聞いた記憶がありません。これでは、只今の救いを久しく求道していった先の、未来の救いだと聞く側が思ってしまっても仕方ないことです。―「救いは一念だが、そこまでは長い道程がある」―というのがほぼ全ての会員の理解でしょう。これでは一念の救いではなく、多念の救いであることに会員の皆さんは一刻も早く気がつくべきです。

釈迦一代の教えは何かと言うと、昔は「唯説弥陀本願海(正信偈)」を出して弥陀の本願一つ説かれたと話していましたが、最近では「浄土方便の善なり(一念多念証文)」を出して善の勧めを説かれているという話に切り替わっています。18願が小さく霞んでしまっている、というよりも、18願が消えてしまった、と言った方が適切かも知れないと思えるくらいです。

元々高森会長は18願のこころを正しく説いていませんが、近頃は乱れに乱れて19願を最重要視し、18願を説かなくなっております。18願を説けないというのもありますが、18願を説くことによる自分への利益がない、というのもあります。18願はただの救い、善は関係ない救いですから、説いても親鸞会に何の利益ももたらさないわけです。18願を説かないものですから、獲信者が0といっていい程いないのは当然なのです。いや、敢えて獲信者を出さないようにしているのかも知れません。獲信することによって、他力の信心を獲るために我々の善は関係なく、ひとえに本願力によるということが明らかになりますので、獲信者が出ると「獲信の因縁」として善を勧めている今の親鸞会には非常に都合が悪いのです。
親鸞会は高森会長の都合でどんどん教えが変わる単なる新興宗教であることに、会員の皆さんには何とか気がついてもらいたいものです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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