「ただちに来れ」は、白道を進んでいった先の私にではなく、只今の私に向かっての招喚です

元会員から見た浄土真宗親鸞会「直ちに」にありますが、弥陀の招喚は「ただちに来れ」であり、そう喚びかけられている「なんぢ」とは過去でも未来でもない只今の私であります。「ただちに来れ」は、白道を進んでいった先の私にではなく、只今の私に向かっての招喚です。ところが親鸞会の会員の多くは、その記事にあるように

「その弥陀のお喚び声そっちのけで、三願転入の道を進まねばとか、方便を通らねばとか、要門と言われているのだから18願に入るのに実行する必要があるのだ」

などと思っていることでしょう。このように思い込まされる原因の一つに、誤った二河白道の譬を聞かされていることがあります。高森会長の二河白道の譬では、行者は尊い人の「西に向かって進め」の指授の下、火の河と水の河の苦しみに耐えながら進み、白道のほぼ中間で三定死の念を抱き、そして西岸上からの喚び声を聞くことになっています。これは間違いです。
親鸞会教義の誤り「宿善とは8」にお聖教に基づいた二河白道の譬が掲載されていますが、行者は白道に一歩も踏み入れない内に三定死の念を抱き、そして東岸の人の声(釈迦の発遣)、西岸の人の声(弥陀の招喚)を聞いています。そこで行者は「決定して道を尋ねてただちに進」むわけです。
高森会長の譬は、親鸞会に実に都合よく作り変えられています。例えば、本来の譬では多くの群賊・悪獣が行者を殺そうと襲いかかってきて、西へ逃げようとしたら突如大河が現れています。しかし高森会長の話では、群賊・悪獣は行者が白道を進み出してから現れます。それに、白道上の行者を始めは優しく戻るように話し、行者が言うことを聞かないと脅迫に変わります。高森会長の譬ですと、家族や親戚、友人等から親鸞会に行くのを反対された時に「高森先生の仰る通り、白道を進もうとするとそれを妨げるものが現れてくるなぁ」と共感しやすいのです。
オリジナル二河白道の譬にはこのように色々と問題はありますが、やはり一番の問題は「白道」に対する誤った理解を与える点です。親鸞会では、「白道」を本来あるはずのない「横の道」に当てはめて、「求道心、信心」などと言っています。これは全く違います。「白道」とは他力の信心を表すのであって、信前の人が煩悩と格闘して進む道ではありません。

信後の信心守護の譬え話を信前の聞法求道の譬え話に作り変え、本来あるはずのない「横の道」に会員を当てはめて、助かるのは白道を進んでいった先だと会員に思い込ませているのが親鸞会です。こうしてデタラメな解釈をして弥陀の只今の救いを未来の救いに変え、会員の獲信を妨げている親鸞会は、

「あるいは行くこと一分二分するに群賊等喚ばひ回す」といふは、すなはち別解・別行・悪見人等妄りに見解を説きてたがひにあひ惑乱し、およびみづから罪を造りて退失するに喩ふ。

とあるような群賊等であり、別解・別行・悪見人等です。阿弥陀仏は、白道を一歩も進んでいない只今の私に向かって

なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ

と喚びづくめなのですから、本当に獲信し、往生成仏したい人は速やかに別解・別行・悪見人等の珍説から離れ、阿弥陀仏に救われて下さい。「われ(阿弥陀仏)、なんぢ(私)を助けるぞ」の仰せを聞くのが信です。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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