蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(18)

 そもそも、当流門徒中において、この六箇条の篇目のむねをよく存知して、仏法を内心にふかく信じて、外相にそのいろをみせぬやうにふるまふべし。しかればこのごろ当流念仏者において、わざと一流のすがたを他宗に対してこれをあらはすこと、もつてのほかのあやまりなり。所詮向後この題目の次第をまもりて、仏法をば修行すべし。もしこのむねをそむかん輩は、ながく門徒中の一列たるべからざるものなり。

一 神社をかろしむることあるべからず。
一 諸仏・菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず。
一 諸宗・諸法を誹謗すべからず。
一 守護・地頭を疎略にすべからず。
一 国の仏法の次第非義たるあひだ、正義におもむくべき事。
一 当流にたつるところの他力信心をば内心にふかく決定すべし。
 一つには、一切の神明と申すは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、この界の衆生をみるに、仏・菩薩にはすこしちかづきにくくおもふあひだ、神明の方便に、仮に神とあらはれて、衆生に縁をむすびて、そのちからをもつてたよりとして、つひに仏法にすすめいれんがためなり。これすなはち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止観)といへるはこのこころなり。されば今の世の衆生、仏法を信じ念仏をも申さん人をば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆゑに、弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこころはこもれるゆゑなり。

 二つには、諸仏・菩薩と申すは、神明の本地なれば、今の時の衆生は阿弥陀如来を信じ念仏申せば、一切の諸仏・菩薩は、わが本師阿弥陀如来を信ずるに、そのいはれあるによりて、わが本懐とおぼしめすがゆゑに、別して諸仏をとりわき信ぜねども、阿弥陀仏一仏を信じたてまつるうちに、一切の諸仏も菩薩もみなことごとくこもれるがゆゑに、ただ阿弥陀如来を一心一向に帰命すれば、一切の諸仏の智慧も功徳も弥陀一体に帰せずといふことなきいはれなればなりとしるべし。

 三つには、諸宗・諸法を誹謗することおほきなるあやまりなり。そのいはれすでに浄土の三部経にみえたり。また諸宗の学者も念仏者をばあながちに誹謗すべからず。自宗・他宗ともにそのとがのがれがたきこと道理必然せり。

 四つには、守護・地頭においてはかぎりある年貢所当をねんごろに沙汰し、そのほか仁義をもつて本とすべし。 五つには、国の仏法の次第当流の正義にあらざるあひだ、かつは邪見にみえたり。所詮自今以後においては、当流真実の正義をききて、日ごろの悪心をひるがへして、善心におもむくべきものなり。

 六つには、当流真実の念仏者といふは、開山(親鸞)の定めおきたまへる正義をよく存知して、造悪不善の身ながら極楽の往生をとぐるをもつて宗の本意とすべし。それ一流の安心の正義のおもむきといふは、なにのやうもなく、阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、われはあさましき悪業煩悩の身なれども、かかるいたづらものを本とたすけたまへる弥陀願力の強縁なりと不可思議におもひたてまつりて、一念も疑心なく、おもふこころだにも堅固なれば、かならず弥陀は無碍の光明を放ちてその身を摂取したまふなり。かやうに信心決定したらんひとは、十人は十人ながらみなことごとく報土に往生すべし。このこころすなはち他力の信心を決定したるひとなりといふべし。

このうへになほこころうべきやうは、まことにありがたき阿弥陀如来の広大の御恩なりとおもひて、その仏恩報謝のためには、ねてもおきてもただ南無阿弥陀仏とばかりとなふべきなり。さればこのほかには、また後生のためとては、なにの不足ありてか、相伝もなきしらぬえせ法門をいひて、ひとをもまどはし、あまつさへ法流をもけがさんこと、まことにあさましき次第にあらずや。よくよくおもひはからふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章3帖目10通)



このお手紙で当流安心のおもむきが書かれているのは六箇条の篇目の中の六番目ですので、そこを見ていきたいと思います。

当流真実の念仏者といふは、開山(親鸞)の定めおきたまへる正義をよく存知して、造悪不善の身ながら極楽の往生をとぐるをもつて宗の本意とすべし。それ一流の安心の正義のおもむきといふは、なにのやうもなく、阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、われはあさましき悪業煩悩の身なれども、かかるいたづらものを本とたすけたまへる弥陀願力の強縁なりと不可思議におもひたてまつりて、一念も疑心なく、おもふこころだにも堅固なれば、かならず弥陀は無碍の光明を放ちてその身を摂取したまふなり。かやうに信心決定したらんひとは、十人は十人ながらみなことごとく報土に往生すべし。このこころすなはち他力の信心を決定したるひとなりといふべし。

「造悪不善の身ながら極楽の往生をとぐる」というのが宗の本意です。弥陀の救いに私達の善悪は関係ありません。一流の安心の正義のおもむきというのは、まず「なにのやうもなく」ですから、私達の方で何かをしなければ助けて頂けないというものではないということです。微塵の善もできない極悪人と知らされなければならないとか、そう知らされるために善を目一杯しなければならないという条件はありません。親鸞会では二種深信の理解が間違っていますのでそのように勘違いをしている人が多数おられると思いますが、そうではないのです。二種深信については後ほど書きます。

「阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて」とは、阿弥陀仏の他、余善他仏にうつらないということです。親鸞会では他仏を念じるなとは言っても、余善にうつるなとは言いません。それでは善と称して献金と勧誘を積極的に勧める理由がなくなるからです。獲信と関係づけて善(活動)をしている限りは阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつることはできません。

「われはあさましき悪業煩悩の身なれども、かかるいたづらものを本とたすけたまへる弥陀願力の強縁なりと不可思議におもひたてまつりて」とは、弥陀を一心一向にたのんだ他力の信心を機と法の二種に開いたものです。前半部分が機の深信、後半部分が法の深信を顕しています。
機の深信とは簡単に言えば己の罪深きことということですが、これは我々のどのような善根功徳によっても生死を離れることができないと深信することです。

・一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。(「信文類」引文)

機の深信について親鸞会では上の根拠しか出しません。しかも「罪悪生死の凡夫」を強調して、機の深信とは「微塵の善もできない極悪人」「地獄一定」と知らされることとしています。しかし、善導大師が機の深信を仰っている箇所はこの文だけではありません。もう一箇所あります。

・自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。(「信文類」引文)

こちらでは「善根薄少」と言われています。善根薄少なので三界を流転して火宅を出離することができないということで、無善根なのではありません。大事なのは二つの文に共通して「出離の縁あることなし」「三界に流転して火宅を出でず」とあるように、いずれの行にても生死を離れることができないという点です。これは善導大師や親鸞聖人のような方々も、我々のような粗末な凡夫も一緒です。対して、自分の罪深さについてどう思うかは罪悪観の問題なので人それぞれ異なります。善導大師や親鸞聖人のように自己の罪悪を厳しく見つめている方もありますし、そうでない人もあります。蓮如上人は3帖目10通では私達のことを「あさましき悪業煩悩の身」「かかるいたづらもの」と仰っていますが、自分の事をどれ位あさましいと思うか、どれ位悪業煩悩の身と思うか、どれ位いたずらものだと思うかは人によって違います。親鸞会では、救われた人が共通して同じ「地獄一定の自覚」を持つかように説いていますが、そうではないことを知って下さい。

法の深信とは、「阿弥陀仏は私を必ずお救い下さる」ということに疑いないことを言います。善導大師のお言葉では以下の通りです。

・二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。(「信文類」引文)
・いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。(同)


阿弥陀仏は本願にて、至心信楽をえた者を浄土往生させると誓っておられます。本願は「南無(我をたのめ)阿弥陀仏(必ず助ける)」の名号となって既に私の元に至り届いています。私はこれを計らいなく聞き受けるのみです。名号を聞くのが信です。

・「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。(一念多念証文)

「必ず往生させる」という本願力に身を委ねるので「さだめて往生を得と信ず」「さだめて往生を得しむと信知」と仰っています。ただ、極楽の様子が分かるようになるわけではありませんので、本願に救われても死後どのような世界へ生まれるかは分かりません。私はただ「必ず往生させる」と誓っておられる本願に身を任せるのみです。往生ほどの一大事は、阿弥陀仏の計らわれるところであって、凡夫の計らうべきことではありません。

・往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。(執持鈔)

このように言うと、では『領解文』の「往生一定、御たすけ治定」というのはどうなんだ、極楽参り間違いなしとハッキリするのではないのかと質問する人があるかも知れません。これは、本願で「必ず往生させる」と誓われているからその通りに頂いているのであって、「極楽参り間違いなしとハッキリする」のではありません。極楽の様子が見えたりすればそう言えるでしょうが、そうではないため私の方から「極楽へ必ず往ける」とは言えないわけです。再度申し上げますが、必ず助ける本願力に身を任せるのが法の深信です。あとは阿弥陀仏に計らわれるまま、死後は阿弥陀仏が連れていって下さる処に生まれるだけです。たとえそこが地獄であろうと、元々迷いの世界から出られる私ではありませんので文句は言えません。私はひとえに阿弥陀仏におすがりするのみです。

機の深信、法の深信とは以上のようなことですから、別に矛盾したことではないことがお分かりでしょう。私には生死を出離できるようなものがないから、「必ず助ける」本願によって往生を得るのです。親鸞会では変な説明をするから分かりにくく、しかも間違ってしまうのです。

ちなみに親鸞会では上の『執持鈔』のお言葉を「三願転入を計らうな」という意味に改ざんしていますが、とんでもありません。19願は諸行往生を誓われた願ですから、19願の行を勧めるとは諸行往生を勧めることです。

・来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終まつこと来迎たのむことは、諸行往生のひとにいふべし。真実信心の行人は摂取不捨のゆゑに正定聚に住す、正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。かるがゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。これすなはち第十八の願のこころなり。臨終をまち来迎をたのむことは、諸行往生を誓ひまします第十九の願のこころなり。(執持鈔)

十九願の善、定散二善を勧める親鸞会は諸行往生であり、実態は善もどきの善(献金、勧誘等)を勧めている新興宗教団体に過ぎないということがお分かりでしょう。平生業成と言いながら全く平生業成にあらざる教えを聞かされていることに、熱心な会員の皆さんはいつ気がつくのでしょうか。

さて、本文に戻ります。一念も疑心なく、おもふこころだにも堅固なれば、かならず弥陀は無碍の光明を放ちてその身を摂取したまふなり。かやうに信心決定したらんひとは、十人は十人ながらみなことごとく報土に往生すべし。このこころすなはち他力の信心を決定したるひとなりといふべし。と言われ、「必ず助ける」本願を疑いなく聞き受けた人は、弥陀の無碍の光明に摂取され、みなことごとく報土に往生すると教えられています。後は称名報恩の義を述べられ、どこにも親鸞会流「三願転入の教え」や必ず通らねばならない道程、19願や定散二善の勧めなどはありません。このように善知識方が教えられていない教えを「相伝もなきしらぬえせ法門」と言います。

さればこのほかには、また後生のためとては、なにの不足ありてか、相伝もなきしらぬえせ法門をいひて、ひとをもまどはし、あまつさへ法流をもけがさんこと、まことにあさましき次第にあらずや。よくよくおもひはからふべきものなり。

蓮如上人は、このように忠告なされています。親鸞会の皆さんは、今自分が聞いている教えは本当に正しいのか、その教えで本当に自分は救われるのか、真剣に問いかけて頂きたいと思います。何度聞いても自分は横の軌道にも乗っていないと感じるようであれば、今宵の後生には間に合いません。まだまだ善をして信仰を進めなければと感じているようであれば、今日命が終わってしまえば助かりません。人の命は実にはかないことを、今回の東日本大震災で身に染みて感じた人も多いはずです。どうか、よくよく思い計って頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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