蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(19)

 そもそも、今月二十八日は開山聖人(親鸞)御正忌として、毎年不闕にかの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡そのほかいかなる卑劣の輩までも、その御恩をしらざるものはまことに木石にことならんものか。これについて愚老、この四五箇年のあひだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといへども、はからざるにいまに存命せしめ、この当国にこえ、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講にあひたてまつる条、まことにもつて不可思議の宿縁、よろこびてもなほよろこぶべきものか。しかれば自国他国より来集の諸人において、まづ開山聖人の定めおかれし御掟のむねをよく存知すべし。

その御ことばにいはく、「たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうに振舞ふべからず。また外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」よしを、ねんごろに仰せ定めおかれしところに、近代このごろの人の仏法知り顔の体たらくをみおよぶに、外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて、内心にはさらにもつて当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまつさへ相伝もせざる聖教をわが身の字ちからをもつてこれをよみて、しらぬえせ法門をいひて、自他の門徒中を経回して虚言をかまへ、結句本寺よりの成敗と号して人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実あさましき次第にあらずや。

これによりて、今月二十八日の御正忌七日の報恩講中において、わろき心中のとほりを改悔懺悔して、おのおの正義におもむかずは、たとひこの七日の報恩講中において、足手をはこび、人まねばかりに報恩謝徳のためと号すとも、さらにもつてなにの所詮もあるべからざるものなり。されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ。この道理をよくよくこころえて足手をもはこび、聖人をもおもんじたてまつらん人こそ、真実に冥慮にもあひかなひ、また別しては、当月御正忌の報恩謝徳の懇志にもふかくあひそなはりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章3帖目11通)



このお手紙は親鸞聖人報恩講を前に書かれたものです。ここには、当時の人の仏法知り顔の様子と、蓮如上人が門徒の皆さんに弥陀願力の信心を獲得するようにお勧めになっていることが書かれています。「開山聖人の定めおかれし御掟」ということで、

外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき

と教えられています。「仁・義・礼・智・信」とは、WikiArc『仁義礼智信』によれば

儒教に説く五種の倫理徳目。 五常のこと。
仁 他人に対する思いやり、従順、仁愛、愛情。また惻隠(そくいん)の情。
義 正義、平等、公正、清廉、義理、不善を恥じにくむこと。
礼 尊敬、礼儀、礼儀正しさ、権威に服従すること。
智 善悪を弁別する是非分別。
信 信義、誠、誠信、人間の交際における信義と誠実。


ということです。要は世間の倫理道徳を守って暮らしていきなさい、そして心には本願他力の信心をふかくたくわえなさいということです。倫理道徳を守ることは一見当たり前のようですが、なぜこのようなことをわざわざ仰るのでしょうか。これは、真宗はどのような悪人をも必ず救い摂る阿弥陀仏の本願他力という素晴らしい法を説いているのですが、その法を得手に聞いて、「どんな悪も往生の障りにならないのだから、やりたい放題悪を犯してもかまわない」というような邪義があったからです。この類の邪義は法然聖人の時代から既に存在していました。親鸞聖人もお手紙の中で繰り返し注意をされています。
その人がどういう教えを聞いているか、その教えは素晴らしいのかどうなのかということを、他人はその人の言動で判断します。その人が立派な言動をしていれば、それを見た人はその人が聞いている教えを聞いてみたいと思うか、そこまではいかなくてもその教えを悪く言うことはないでしょう。しかし、その人の言動がひどい場合、それを見た人はその人が聞いている教えを聞かないばかりか、とんでもない教えだと非難しかねません。そして後者の場合の影響力はとても大きいため、

たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうに振舞ふべからず

とまで言われているのです。例えば、親鸞会は大学では偽装勧誘を繰り返し、きちんとした会計報告をしません。活動が忙しく、学生は学業が疎かになりがちです。就職もせずに活動している卒業生も少なくありません。また、『週刊ダイヤモンド』(2010/11/13特大号)で取り上げたように、会の職員に不当な契約を結ばせています。このような団体が浄土真宗とか、親鸞聖人の教えなどと名乗っていたら、浄土真宗、親鸞聖人の教えを遠ざける縁になりはしないでしょうか。親鸞会は浄土真宗とは関係ない団体だと分かっている人はいいですが、子供が会員である親御さんなどは、新興宗教を嫌って辞めさせるか、言っても無駄だと傍観するかして、一般の人よりも浄土真宗をよく思わない可能性が高いと思います。

外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて、内心にはさらにもつて当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまつさへ相伝もせざる聖教をわが身の字ちからをもつてこれをよみて、しらぬえせ法門をいひて、自他の門徒中を経回して虚言をかまへ、結句本寺よりの成敗と号して人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実あさましき次第にあらずや。

これも親鸞会の体たらくがよく当てはまります。表向きは、因果の道理、善の勧め、親のこころ、なぜ生きる、人生の目的などと言って、仏教を信じている様子を見せています。ところが、実態は善と言っても推進されるのは主に献金と勧誘、そして高森会長や上司の指示に無条件に従うロボットになることです。親を親鸞会に誘い、熱心な会員にすることが最高の親孝行だと勘違いし、心配する親のこころを無視しています。人生の目的が現在完成するなどと言って、皆無と言っていいほど誰も現在完成していません。「内心にはさらにもつて当流安心の一途を決定せしめたる分なくして」と蓮如上人が仰っている通りです。
親鸞聖人の教えには、親鸞会流「三願転入の教え」、信前の人が必ず通らねばならない道程、獲信のための(因縁としての)修善の勧め、一切衆生必堕無間説、善知識の指示への無条件服従など、親鸞会で教えているほとんどは存在しません。つくづく「あまつさへ相伝もせざる聖教をわが身の字ちからをもつてこれをよみて、しらぬえせ法門をいひて、自他の門徒中を経回して虚言をかまへ」というお言葉がよく当てはまる団体です。
そして、講師部員は「尊い宿善になる」「後生の一大事の解決のために」「高森先生の御恩にお応えしましょう」などと言って会員をたぶらかし(たぶらかしている自覚のない人がほとんどですが)、目標顕正人数、目標財施額達成のために勧誘を勧めたり、何度も何度も財施を募り直したりしています。親鸞会は本寺ではありませんが、「結句本寺よりの成敗と号して人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実あさましき次第にあらずや」と蓮如上人が言われているのはまさに親鸞会のことではないかと思えます。

たとえ毎回欠かさず富山へ行き、報恩講には皆が1日1万円のお布施を出すからと1日1万円を出し、人真似ばかりに活動していても、弥陀願力の信心を獲得しなかったら何の所詮もありません。しかし、18願のこころ、南無阿弥陀仏のいわれを聞けと教えられているのに、現在の親鸞会ではそれは説かれず、19願諸行往生の勧め一辺倒です。このような「しらぬえせ法門」をいくら聞いて従っていても今度の一大事の往生は遂げられません。会員の皆さんは早くえせ法門をえせ法門と正見して、直ちに救う本願の仰せを聞いて頂きたいと思います。そして本当の仏恩報尽、師徳報謝をして下さい。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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