蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(21)

 それ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。

このこころえのとほりをもつて、すなはち弥陀如来の他力の信心をえたる念仏行者のすがたとはいふべし。かくのごとく念仏の信心をとりてのうへに、なほおもふべきやうは、さてもかかるわれらごときのあさましき一生造悪の罪ふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心をおこせば、仏の願力によりてたやすくたすけたまへる弥陀如来の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもひたてまつりて、その御恩報謝のためには、ねてもさめてもただ念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。

このうへには後生のためになにをしりても所用なきところに、ちかごろもつてのほか、みな人のなにの不足ありてか、相伝もなきしらぬくせ法門をいひて人をもまどはし、また無上の法流をもけがさんこと、まことにもつてあさましき次第なり。よくよくおもひはからふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章3帖目13通)



蓮如上人は、このお手紙のようにしばしば

「ほかには」
「後生のためには」


と仰って、いわゆる「このように心がけて暮らしていきなさい」という念仏者の生き方と、後生・往生のこととを分けて教えられています。生き方も勿論大事なことですが、蓮如上人当時と平成の現在とは大分状況も違います。また、真宗を聞く者にとって最も大事なことは後生・往生のこと、いわゆる信心獲得し、真実の極楽浄土に往生することです。これについては、蓮如上人当時であろうと平成の現在だろうと、時や処によって変化するものではありません。では、蓮如上人は「後生のためには」どうせよと仰っているのでしょうか。早速見てみたいと思います。

後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。

後生のためには、阿弥陀如来を一心一向にたのみなさいと仰せです。一心一向とは、阿弥陀如来以外の余仏を念ぜず、また六度万行や定散二善など、念仏以外の余の善にうつらないことです。このことは「自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして」と仰っていることからも分かります。そして、ひとえに後生を阿弥陀如来におまかせし、本願力に一念も疑心なければ、必ず真実の極楽浄土に往生すると教えられています。それには阿弥陀如来の名号、すなわち「南無(我をたのめ)阿弥陀仏(必ず助ける)」を計らいなく聞き受けることです。我々にとって聞くべきはこの南無阿弥陀仏のいわれ、18願のこころです。

このこころえのとほりをもつて、すなはち弥陀如来の他力の信心をえたる念仏行者のすがたとはいふべし。かくのごとく念仏の信心をとりてのうへに、なほおもふべきやうは、さてもかかるわれらごときのあさましき一生造悪の罪ふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心をおこせば、仏の願力によりてたやすくたすけたまへる弥陀如来の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもひたてまつりて、その御恩報謝のためには、ねてもさめてもただ念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。

南無阿弥陀仏に一念の疑心もないのが念仏の信心ですが、ここではその念仏の信心を機法二種に開いて顕されています。すなわち、「かかるわれらごときのあさましき一生造悪の罪ふかき身」が機を、「ひとたび一念帰命の信心をおこせば、仏の願力によりてたやすくたすけたまへる弥陀如来の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよ」が法を顕しています。私達は一生悪を造り続けなければならない罪の深い存在で、仏の願力、超世の本願の強縁なくば生死から離れられない者であり(機の深信)、そのような者がひとえに仏の願力によってたやすく浄土に往生させて頂く(法の深信)のです。それから、この阿弥陀如来の本願の有難さ、尊さを思えば、その御恩報謝のためには寝ても覚めてもただ念仏ばかりを称えて、仏恩を報じなさいと教えられています。

これで「後生のためには」と教えられているところは以上です。あとは、

このうへには後生のためになにをしりても所用なきところに、ちかごろもつてのほか、みな人のなにの不足ありてか、相伝もなきしらぬくせ法門をいひて人をもまどはし、また無上の法流をもけがさんこと、まことにもつてあさましき次第なり。よくよくおもひはからふべきものなり。

と仰せられ、南無阿弥陀仏の他に何の不足があってか、相伝もなきしらぬくせ法門を説いて人を惑わし、無上の法流を汚す者がいることを嘆かれています。これは平成の現在では誰のことを言っているのでしょうか。
蓮如上人は、後生のためには善をせよとは教えられていません。19願の善をせよとは教えられていません。三願転入については触れてもおられません。一切衆生必堕無間などと言って、徒に地獄の恐怖を煽るようなことも書いておられません。わしの指示に無条件服従しなければ助からないなどとは仰っておられません。善をして宿善を厚くせよとも教えておられません。念仏の信心獲得までに必ず通らねばならない道程とやらは一切教えられていません。因果の道理をやかましく説いて、獲信を目指して廃悪修善をせよとも仰っておられません。「相伝もなきしらぬくせ法門」を説いて人を惑わし、無上の法流を汚す者とは、まさしく高森会長のことであると分かります。これでは親鸞会で何十年と求めている人でさえ助からないのももっともな話です。会員の皆さんは、早くこのような珍らしき法からは離れ、直ちに無上の法流に基づいて18願のこころ、南無阿弥陀仏のいわれを聞いて、浄土往生の本懐を遂げて頂きたいと思います。

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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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