蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(23)

 それ、人間の寿命をかぞふれば、今の時の定命は五十六歳なり。しかるに当時において、年五十六まで生き延びたらん人は、まことにもつていかめしきことなるべし。これによりて予すでに頽齢六十三歳にせまれり。勘篇すれば年ははや七年まで生き延びぬ。これにつけても、前業の所感なれば、いかなる病患をうけてか死の縁にのぞまんとおぼつかなし。これさらにはからざる次第なり。

ことにもつて当時の体たらくをみおよぶに、定相なき時分なれば、人間のかなしさはおもふやうにもなし。あはれ死なばやとおもはば、やがて死なれなん世にてもあらば、などかいままでこの世にすみはんべりなん。ただいそぎても生れたきは極楽浄土、ねがうてもねがひえんものは無漏の仏体なり。しかれば、一念帰命の他力安心を仏智より獲得せしめん身の上においては、畢命為期まで仏恩報尽のために称名をつとめんにいたりては、あながちになにの不足ありてか、先生より定まれるところの死期をいそがんも、かへりておろかにまどひぬるかともおもひはんべるなり。

このゆゑに愚老が身上にあててかくのごとくおもへり。たれのひとびともこの心中に住すべし。ことにもつて、この世界のならひは老少不定にして電光朝露のあだなる身なれば、いまも無常の風きたらんことをばしらぬ体にてすぎゆきて、後生をばかつてねがはず、ただ今生をばいつまでも生き延びんずるやうにこそおもひはんべれ。あさましといふもなほおろかなり。いそぎ今日より弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に無量寿仏に帰命して、真実報土の往生をねがひ、称名念仏せしむべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章4帖目2通)



この世の中は老少不定であり、稲妻や朝の露のようにはかない私達の身の上です。東日本大震災では1万人以上もの方々が犠牲となりましたが、そのようなことがなくても無常の風はやってきます。なのに無常にうとい私達は未だかつて後生を願ったこともなく、ただ今生をいつまでも生き延びるように考えています。そういう私達に蓮如上人は今日からどうせよと教えられているでしょうか。

いそぎ今日より弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に無量寿仏に帰命して、真実報土の往生をねがひ、称名念仏せしむべきものなり。

弥陀如来の他力本願とは18願のみであることは言うまでもありません。「我をたのめ、必ず往生させる」と誓われた18願を疑いなく聞き受け、ひとえに後生を阿弥陀仏におまかせして、真実報土の往生を願い、この度往生を定めて下された本願のかたじけなさに南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称名念仏して仏恩を報じなさいと教えられています。やはり4帖目2通にも、親鸞会流「三願転入の教え」を始めとした親鸞会の様々な珍説はありません。
ところで、蓮如上人は「後生をばかつてねがはず」の後に「真実報土の往生をねがひ」と書かれています。こうしたことからも蓮如上人は、後生をねがうとは真実報土の往生をねがうことだと教えられていることがわかります。必堕無間の一大事に驚き立ち、地獄から逃れたいとねがうことではないのです。
仏教は迷いを離れ、さとりの完成(成仏)を目的としています。真宗は往生成仏を目的に聞くものです。地獄から逃れることを目的にしていては、心は地獄に向くばかりで弥陀には向きません。それに無間地獄から逃れるだけならば、弥陀の本願を聞かずとも神を拝めばよいのです。

・一度、神を拝んだ者は、五百生の蛇身を受け、現世に福報は更に来たらずして、後生は必ず三悪道に堕す。(教学聖典6号(37)より)

迷界からの出離を目的としていると親鸞会では言わないこともありません。しかし会員さんは誤った教えのせいで、微塵の善もできない地獄一定の自己が知らされねば助からないと信じて、そのように知らされよう知らされようという目的で活動しています。地獄一定の自己が知らされたら、同時に法の深信も立つのだと想像しているのでしょうが、甚だしい誤解です。逆に心が自己に向いて弥陀の摂取の法をそっちのけにしているから本願のこころが分からず、いつまでも堂々巡りを繰り返しているのです。弥陀を無視して独りよがりになっていると言えます。果たして、自分は信仰(?)が進んでいるのかいないのか、横の軌道に乗っているのかどうなのか、このまま求めていって今生で救われるのかどうなのか。「進めば分かります」「凡夫の計らうべきことではない」などと言われ、ひたすら活動を強いられる教えに会員の皆さんは疑問を抱きませんか?
信心獲得を本とする、親鸞聖人の教えとうたいながら、地獄一定の自己を知らされることを本とし、高森会長の教えとなっていることに、従順な会員さんはいつ気がつくのでしょうか? 無常は今日とも知れず明日とも知れません。しかもこの世の習いは老少不定です。それは東日本大震災の犠牲者や、18日朝にクレーン車の居眠り運転によって亡くなっていった6人の児童が教えてくれています。犠牲者の方々、そして私達の誰が、彼らの命はその日限りであったと予想したでしょう? 今日救われる教えでなければ、あだにはかない身の上である私達は助かりません。では親鸞会の教えは今日救われる教えですか? よくよく思い計って頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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