蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(29)

 そもそも、今月二十八日の報恩講は昔年よりの流例たり。これによりて近国・遠国の門葉、報恩謝徳の懇志をはこぶところなり。二六時中の称名念仏、今古退転なし。これすなはち開山聖人(親鸞)の法流、一天四海の勧化比類なきがいたすところなり。このゆゑに七昼夜の時節にあひあたり、不法不信の根機においては、往生浄土の信心獲得せしむべきものなり。

これしかしながら今月聖人の御正忌の報恩たるべし。しからざらん輩においては、報恩謝徳のこころざしなきに似たるものか。これによりて、このごろ真宗の念仏者と号するなかに、まことに心底より当流の安心決定なきあひだ、あるいは名聞、あるいはひとなみに報謝をいたすよしの風情これあり。もつてのほかしかるべからざる次第なり。そのゆゑは、すでに万里の遠路をしのぎ莫大の辛労をいたして上洛の輩、いたづらに名聞ひとなみの心中に住すること口惜しき次第にあらずや。すこぶる不足の所存といひつべし。ただし無宿善の機にいたりてはちからおよばず。しかりといへども、無二の懺悔をいたし、一心の正念におもむかば、いかでか聖人の御本意に達せざらんものをや。

一 諸国参詣の輩のなかにおいて、在所をきらはず、いかなる大道・大路、また関屋・渡の船中にても、さらにそのはばかりなく仏法方の次第を顕露に人にかたること、しかるべからざる事。
一 在々所々において当流にさらに沙汰せざるめづらしき法門を讃嘆し、おなじく宗義になきおもしろき名目なんどをつかふ人これおほし。もつてのほかの僻案なり。自今以後かたく停止すべきものなり。
一 この七箇日報恩講中においては、一人ものこらず信心未定の輩は、心中をはばからず改悔懺悔の心をおこして、真実信心を獲得すべきものなり。
一 もとよりわが安心のおもむきいまだ決定せしむる分もなきあひだ、その不審をいたすべきところに、心中をつつみてありのままにかたらざるたぐひあるべし。これをせめあひたづぬるところに、ありのままに心中をかたらずして、当場をいひぬけんとする人のみなり。勿体なき次第なり。心中をのこさずかたりて真実信心にもとづくべきものなり。
一 近年仏法の棟梁たる坊主達、わが信心はきはめて不足にて、結句門徒同朋は信心は決定するあひだ、坊主の信心不足のよしを申せば、もつてのほか腹立せしむる条、言語道断の次第なり。以後においては、師弟ともに一味の安心に住すべき事。
一 坊主分の人、ちかごろはことのほか重杯のよし、そのきこえあり。言語道断しかるべからざる次第なり。あながちに酒を飲む人を停止せよといふにはあらず。仏法につけ門徒につけ、重杯なれば、かならずややもすれば酔狂のみ出来せしむるあひだ、しかるべからず。さあらんときは、坊主分は停止せられてもまことに興隆仏法ともいひつべきか。しからずは、一盞にてもしかるべきか。これも仏法にこころざしのうすきによりてのことなれば、これをとどまらざるも道理か。ふかく思案あるべきものなり。
一 信心決定のひとも、細々に同行に会合のときは、あひたがひに信心の沙汰あらば、これすなはち真宗繁昌の根元なり。
一 当流の信心決定すといふ体は、すなはち南無阿弥陀仏の六字のすがたとこころうべきなり。すでに善導釈していはく、「言南無者即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者即是其行」(玄義分)といへり。「南無」と衆生が弥陀に帰命すれば、阿弥陀仏のその衆生をよくしろしめして、万善万行恒沙の功徳をさづけたまふなり。このこころすなはち「阿弥陀仏即是其行」といふこころなり。このゆゑに、南無と帰命する機と阿弥陀仏のたすけまします法とが一体なるところをさして、機法一体の南無阿弥陀仏とは申すなり。かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すといふも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり。
 そもそもこの八箇条のおもむきかくのごとし。しかるあひだ、当寺建立はすでに九箇年におよべり。毎年の報恩講中において、面々各々に随分信心決定のよし領納ありといへども、昨日今日までもその信心のおもむき不同なるあひだ、所詮なきものか。しかりといへども、当年の報恩講中にかぎりて、不信心の輩、今月報恩講のうちに早速に真実信心を獲得なくは、年々を経といふとも同篇たるべきやうにみえたり。しかるあひだ愚老が年齢すでに七旬にあまりて、来年の報恩講をも期しがたき身なるあひだ、各々に真実に決定信をえしめん人あらば、一つは聖人今月の報謝のため、一つは愚老がこの七八箇年のあひだの本懐ともおもひはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章4帖目8通)



蓮如上人の常に仰ることは、「往生浄土の信心獲得せよ」ということです。そのために相伝もなきしらぬえせ法門を説いて、聞く者を献金と勧誘の人員として利用し、己の勢力拡大に走っている誰かさんとは大違いです。蓮如上人はひたすら18願のこころを説き続けられ、結果として多くの人を勧化して「再興上人」と言われるまでになりました。対して蓮如上人以来の善知識と弟子や会員に言わせている人物は、真宗再興と言いつつも実際は珍らしき法を弘め、1万人収容の大きな建物を建てるまではいきましたが常時満堂とはほど遠く、結局社会の水面にもほとんど現れることはありませんでした。せいぜいが本願寺に座り込みをしたり(実際彼は座り込みに参加せず、会員にのみさせています。その割に滋賀会館で「陣頭指揮」をしていたそうです)、大学で正体を隠した偽装勧誘をしたり、会員や会の職員に違法と言える不当な契約を結ばせたりして、過激派と言われたり社会問題になったりした位ではないでしょうか?

さて、蓮如上人は当流の信心についてどう教えられているのか、これから見てみたいと思います。

当流の信心決定すといふ体は、すなはち南無阿弥陀仏の六字のすがたとこころうべきなり。すでに善導釈していはく、「言南無者即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者即是其行」(玄義分)といへり。「南無」と衆生が弥陀に帰命すれば、阿弥陀仏のその衆生をよくしろしめして、万善万行恒沙の功徳をさづけたまふなり。このこころすなはち「阿弥陀仏即是其行」といふこころなり。このゆゑに、南無と帰命する機と阿弥陀仏のたすけまします法とが一体なるところをさして、機法一体の南無阿弥陀仏とは申すなり。かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すといふも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり。

南無阿弥陀仏の六字を心得るのが、当流の信心を決定するということです。その六字釈について、まず善導大師の御釈を引かれています。「南無」というのは帰命であり、また発願回向ということです。帰命とは、「汝を救うぞ」という如来招喚の勅命を計らいなく聞き受け、後生を阿弥陀仏におまかせすることです。発願回向とは、阿弥陀仏が「私一人を助ける」という願いを発して、私に回向して下さるということです。「阿弥陀仏」というのはその行です。衆生が南無と帰命すれば、阿弥陀仏の願力によって必ず往生する身となるのです。本願は唯願いのみではなく、願と行を具足しているから、必ず往生するのだと善導大師は教えられています。
その後、蓮如上人は、南無と帰命する機と阿弥陀仏の助けまします法とが一体であるから、機法一体の南無阿弥陀仏というのだと仰っています。機とは衆生の南無帰命の信心、法とは阿弥陀仏の摂取の願力ということです。この故に、阿弥陀仏が昔法蔵菩薩であった時、「衆生が仏に成らねば私も決してさとりを開くまい」と誓われ、既にさとりの成就したすがたが、今の南無阿弥陀仏です。われらが往生の定まりたる証拠は、この南無阿弥陀仏であるというのです。ですから他力の信心を獲得するといっても、ただ南無阿弥陀仏、これ以外に信心はありません。「南無(我をたのめ)阿弥陀仏(必ず救う)」を聞くのが信心です。

蓮如上人は、こうした当流の信心の体である南無阿弥陀仏のいわれしか説いておられません。どこに三願転入せよとか、19願の善をせよとか、定散二善をしなさいとか、宿善を求めよ・厚くせよとか、必ず通らねばならない道程があるとか、因果の道理を説いて信心獲得目指して廃悪修善をしなさいとか、全人類は死ねば必ず無間地獄に堕ちるとか、それに驚きが立たねば仏教は始まらないとか、そういった教えがありますか? そういった善知識方が教えておられないことは、「文底秘沈の珍しき法」とでも言うべきでしょう。無宿善の人には言っても所詮がないかも知れませんが、真に信心獲得、往生成仏を求めているなら、いつまでも下らない珍説に騙されていてはなりません。「19願で、雑行をさせ」と雑行の勧めを公言しているような相伝もなき知らぬえせ法門は捨て去って、早く蓮如上人が一代明らかにされた南無阿弥陀仏のすがたを心得、浄土往生の本懐を遂げて下さい。

【参照】
『安心問答』会長「19願も、20願も欲生我国とあるから皆18願に向かっている」(5月8日二千畳座談会参加者より頂いた情報より)
『飛雲』高森会長の雑行の勧め
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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