蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(39)

 それ、在家の尼女房たらん身は、なにのやうもなく、一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、後生たすけたまへと申さんひとをば、みなみな御たすけあるべしとおもひとりて、さらに疑のこころゆめゆめあるべからず。これすなはち弥陀如来の御ちかひの他力本願とは申すなり。このうへには、なほ後生のたすからんことのうれしさありがたさをおもはば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目3通)


ここでも蓮如上人は「弥陀如来の御ちかひの他力本願」、すなわち18願しか説かれていません。18願の救いにあずかるに19願の善の実践が必要ならば説かれていない道理がありませんが、蓮如上人に「19願の善をせよ」という教えはありません。
さて、本願のこころとは、まず「なにのやうもなく」ですから、私達衆生の方から往生に関して造作を要しないといことです。往生については、既に弥陀が成就され、回向される南無阿弥陀仏の他に何の不足もないからです。それを不足に思ってこちらで手を加えようとするのを自力といいます。

「もっと真剣に聞かなければ」
「もっと性根を入れて聞かなければ」
「朝晩の勤行・お給仕をちゃんとしなければ」
「立ち居振る舞いを正さなければ」
「煩悩を抑えなければ」
「心から念仏しなければ」
「もっと仏教の勉強をしなければ」
「もっと善をして信仰が進まなければ」
「もっと因果の道理を深く信じなければ」
「必堕無間の後生に驚きが立たなければ」
「善のできない自分と知らされなければ」


等、阿弥陀仏のお救いにこちらの側で様々な条件を設け、それらをクリアしなければ助からない、助けて頂けないように思うことです。これは本願の救いについて誤った考え方です。私が何かしたら助かるのではなく、「必ず助けるぞ」と聞くのです。凡夫はこの点考え方が逆さまです。私の側に救われる方法論はありません。
次に「一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて」ですが、「一心一向」とは余の善にうつらず、余の仏を念じないということです。この二つは同列です。弥陀をたのみたてまつるについて、余の仏を念じることは早々に捨てるが、余の善は修めなければならないということではありません。余の仏を念じることを早々に捨てるなら、余の善を修めることも早々に捨てねばなりません。親鸞会では詭弁を用いて余の善だけは勧めていますが、要は献金と勧誘を勧めて組織の維持・拡大を図りたいだけです。献金と勧誘を都合よく勧めるためのキーワードが「善」であったのです。しかし本願の救いを求めて余の善をせよという教えは、余の仏を念じよというのと同じことですから間違いです。それに余の善とは雑行ですから、親鸞会でいう「善の勧め」とは「雑行の勧め」であり、実態は「新興宗教への献金・勧誘の勧め」という「悪の勧め」であります。真宗には「雑行の勧め」もなければ「悪の勧め」もありません。
そして、阿弥陀仏の「後生助けるぞ」の仰せを計らいなく聞き受け、ひとえに後生を弥陀におまかせするのが、弥陀をふかくたのむということです。「後生たすけたまへと申さん」も同じ意味です。私から阿弥陀仏に「後生助けて下さい」とお願いにかかるのではなく、阿弥陀仏が私に手を下げて「まかせてくれよ」と仰っているのです。私としては、その仰せを計らいなく受容し、後生を弥陀におまかせいたすのみです。
そのように弥陀をたのむ人を、阿弥陀仏はことごとく助けて下さることはさらに疑う心はありません。これがすなわち弥陀如来の他力本願です。この上には、後生を助けて頂いたうれしさ・有難さを思えば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えて仏恩を報じなさいと教えられています。

ここでの蓮如上人の教えは以上です。親鸞会流「三願転入の教え」、横の線に該当する教え、19願の善の勧め、一切衆生必堕無間という教え、善知識の指示に無条件服従しなければならないという教え、宿善を求めよ・厚くせよという教え、因果の道理を説いて獲信目指して廃悪修善をせよという教え等々、親鸞会で言われることは全てといっていいほど蓮如上人は教えておられません。
横の線に代表されるように本来存在することのない「獲信までの道程」を設け、その道程を進むには善をせよと方法論を説き与え、聞く者を自力疑心の虜にしているのが親鸞会です。自分の会員当時は、自分よりはるかに活動している人が周囲に沢山ありましたが、誰も救われてはいないようでした。口々に「光に向かって進ませて頂きます」「真剣に続けて聞かせて頂きます」と言うばかりで、彼らほど活動できない自分はどうしたらいいのか、臨終までに間に合うのか、今日が自分の死ぬ日であれば助からないではないかと悩みました。そして親鸞会から離れて真宗教義を調べ出したら、何のことはない、今まで聞いてきた教えがデタラメであったのです。教えが間違っていたら、いくら聞いて実行していたところで救われる道理はありません。
会員の皆さんは「高森先生・親鸞会のみが正しい、他は皆間違い」という所に立って物事を判断するため、誤りに気付きにくいかも知れません。ただ、自分が今日死ぬ日だとして、今日自分が助かる教えなのかと考えれば、答えは自ずから導き出されるはずです。実際、今日死んでいくのです。実質、善をして信仰が進まなければ助からない教えで、今日助かると思いますか? 会員の皆さんには、横の道を延々と進んでいった先の未来の救いを求めるのではなく、既に私の元へ届いている「南無(我をたのめ)阿弥陀仏(必ず救う)」を疑いなく聞き受け、今度の一大事の往生極楽を遂げて頂きたいと願います。
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話を逸れてしまい申し訳ないのですが、昨日親鸞会の集まりだと分かり、それを言及した者です。講師は苗字をHと名乗りました。

まず、隠していたことについては隠していたのではなくこれから説明しているつもりであったと言っていました。
私が宗教への心の壁が厚いためにその誤解を解くために使った手段とのことです。
正直、ここから疑問でした。

次に、こういったサイトやブログについては、親鸞のアニメで見せた通り、正しい宗教はいつの時代も妬まれ、妨害されるもので、被害者家族の会も存在しないものであると言っていました。

講師Hは信心決定したと言っていますが、まわりの学生と社会人がしているのかどうかは明らかではありません。

火のないところに煙は立ちません。何もなければ被害者家族の会はないはずですし、やましい以外の理由で正体を隠しますか?

一応、浄土真宗の話を聞くだけで入信は絶対にしないという形になり、昨日は終わりました。
今日の午後にも話があるそうです。
よろしければ、お返事ください。

>サルササルサ様

浄土真宗親鸞会被害 家族の会
http://homepage2.nifty.com/nonsect/

というページがあります。「被害者家族の会も存在しない」というのは嘘ですね。相談を寄せてきちんとした返事が返ってきたら「こういう返事が来た」と嘘を指摘してあげて下さい。

法然聖人、親鸞聖人はどうかとして、親鸞会が様々に非難を受けるのは自業自得です。彼らの言う因果の道理では、「親鸞会が様々に非難を受ける」という結果の因は親鸞会自身にあるということです。それを、「周囲の妬み」とするのは「ナワをうらむ泥棒」と同じことではありませんか? ちなみに親鸞会の説く因果の道理は釈尊の教えられた因果の道理とも違っていますが、彼らの理論で述べてみました。

H講師の信心のほどは分かりません。私に話をした先輩も「無明の闇が破れた」と話していました。聞く者を親鸞会に止まらせるために言っている可能性もあります。

仰る通り、何もなければ上のようなページがあるはずがありませんし、やましい理由があるから正体を隠して勧誘しなければならないのです。親鸞会の勧誘の仕方は統一教会等と酷似しています。気付いた頃には高森会長や講師、先輩を信頼して従順な会員となってしまうのです。

親鸞会の教義は大沼法竜師、華光会の伊藤康善師からの盗作がほとんどであり、そこに「一切衆生必堕無間」と経典やお聖教に根拠のないことをつけてカルト化した者です。教えがこのように噴飯ものですから、組織的にもおかしいのです。サルササルサさんはおかしいと疑問に思えるまっとうな思考をお持ちの方です。

教義面については、当ブログのリンク先
親鸞会教義の誤り
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/

飛雲
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/

安心問答
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/

元会員から見た浄土真宗親鸞会
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/

等を参照して頂き、今後どうするのか決めて頂ければと思います。

追伸

親鸞会の組織面については、

さよなら親鸞会
http://sayonara1929.txt-nifty.com/

なぜ私は親鸞会をやめたのか
http://nazeyame.shinrankai.biz/

等を参照して下さい。

お返事ありがとうございます。
教義すら間違っている浄土真宗を学ぼうとするのは不毛ですね。少しずつ交流を絶とうと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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