蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(41)

 信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。このゆゑに、南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。

これを『大経』(上)には「令諸衆生功徳成就」と説けり。されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなり。これによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり。この義は当流一途の所談なるものなり。他流の人に対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。よくよくこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目5通)



信心獲得するというのは、阿弥陀仏の第十八の願を心得るということです。第十八の願を心得るというのは、南無阿弥陀仏のすがたを心得ることです。ですから、私達が聞くべき内容は第十八願のこころであります。また、信心獲得といっても南無阿弥陀仏の六字の他にはないということです。十九願を説いて諸行(雑行)を勧めたり、「まず煩悩具足と知らされねばならない」「因果の道理をよく知らされねばならない」「地獄一定の自己に驚きが立たねばならない」等いくつもの条件を設定したりすることは、蓮如上人の上には見られない珍らしき教えです。
さて、南無阿弥陀仏のすがたとは、南無というのは帰命であり、発願回向であります。帰命とは、「お前の後生助けるぞ」という本願招喚の勅命を計らいなく聞き受けたことです。その一念に、阿弥陀仏が既に発されている願い(お前の後生を助けるという願い、すなわち名号)を恵み与えて下さるというのが発願回向ということです。
これを『大経』には「令諸衆生功徳成就(もろもろの衆生をして功徳成就せしむ)」と説かれているというのです。名号には、永久の昔から造りに造ってきた悪業煩悩を、一つ残らず阿弥陀仏の願力不思議をもって消滅するいわれがありますので、正定聚不退の位に住するのだと教えられています。ただ、真に悪業煩悩が滅するのは臨終一念の夕、大般涅槃を超証する時ですから、この後に蓮如上人は、

これによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり

と書かれているのです。この世を生きてある限りは、煩悩具足の自己は変わりません。

この義が当流一途の所談でありますが、要は生死を離れるような善のできない悪凡夫が、ひとえに本願力(名号)を回向されて往生成仏するという教えです。これは、自力修行によって徐々に煩悩を滅し、さとりを開く聖道門の教えとは全く理論の異なるものです。それに、浄土門でも自力諸行を至心発願して修め、臨終の来迎を期待し往生を願う要門の教えや、念仏一行を専らにしてその功徳を仏に回向して往生を願う真門の教えとも異なります。この第十八願の教法は、衆生の造作は要しない、そしてどのような悪人もお救い下さるというまことに我らが根機に合かなった殊勝の法なのですが、それを直ちに受け入れられない人もあります。それどころか、むやみやたらに説くとかえって誹謗する人もありますので、

他流の人に対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり

と蓮如上人は誡められているのです。上人がよく、「ひとを勧化せんに宿善・無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし(4帖目1通)」等と仰っているのはそのためです。

5帖目5通は以上の通りです。やはり親鸞会流「三願転入の教え」その他様々な珍説は存在しません。その存在しない教えをどこから拾ってくるのでしょうか、乞食のように。過去と言っていることが違いますし、そのような整合性の取れない教えを信じて活動している人は何とも哀れです。早く誤りに気付いて頂きたいものです。
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むしゅくぜんとは?ぽっくんはむしゅくぜん? 

井田池とか耳四郎とかの話が矛盾なんだよね 高●教は矛盾だらけだし、指摘しても、「必ず死ぬ」を理由に続けなさいとか  あと、「聴聞不足」とか言われた だい●つには言われなくないし講師は新人欠場してんの?

>絶倫棒様

4帖目1通等で蓮如上人が仰っている無宿善とは、18願の救いを信じられない人、あるいは親鸞聖人の教えを聞く気がない人、というほどの意味です。この意味で絶倫棒さんは無宿善ではないでしょう。

中々救われる人が現れない親鸞会では、救われる証拠としてイダイケや耳四郎を出すのです。それで如何にも親鸞会が正しいように装うのですが、仰るように教義は破綻しています。それを指摘すると、無常や罪悪などの機の面ばかり説いて親鸞会に留まらせようとするのです。
「聴聞不足」と言う裏には、「俺はこんなに聞いてても助からないのに、たまに聞きに来ているだけのお前が簡単に助かるもんかい」という思いがあるのでしょう。それでは「多聞に極まる」ですし、聞くべきことを聞いていないのですから助からないのも道理なのです。必ず助ける法が抜け落ちた話を聞いていても救いはありません。
信心決定しているかどうかは分かりませんが、「光に向かって進ませて頂きます」などと言っているようではまだ光(縦の線)に向かう途中なのですから無信心でしょうね。2年前に聞いた、15年、30年親鸞会で活動している講師部2人は救われていませんでした。

聴聞不足ってのは、横軸とってるべ? 聴聞不足いいながら、共学力は関係ないとか   

>絶倫棒様

仰る通りです。聴聞やおつとめ、善の積み重ねによって横の線を縦の線の方向に進み、進んだ先に救いがあるように思っているのが会員です。そして会員はそういった活動に多くの時間や労力、金銭を費やしているのに、それでも救われません。そこへ、たまーにやってきた絶倫棒さんのような方が指摘をすると、「お前は教えがよく分かってないんだ、ちょっとしか聞いていないお前に何が分かるかい、聴聞不足だ、もっと続けて真剣に聞け」と猛反発するわけです。
救われるのに教学の浅深は関係ありません。しかし教学を身につけることが横の道を進むことになると思っていますので、結局会員は救いと教学を関係づけているのです。多聞に極まる、活動に極まる、(会長や上司の指示に)無条件服従に極まる、というような思考回路の持ち主が会員です。これでは他力の救いは分かりません。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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