信心の生活(3)ー邪偽の教誡

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第五章 念仏者の利益
 第二節 現生の利益
 ロ、信心の生活

(つづき)

 念仏者の究極的な依りどころは、いうまでもなく阿弥陀仏の本願一つである。親鸞聖人の「御消息」には、

 まづよろづの仏・菩薩をかろしめまゐらせ、よろづの神祇・冥道をあなづりすてたてまつると申すこと、この事ゆめゆめなきことなり。(七八六)

と、諸仏・諸菩薩・諸神を軽しめてはならないと誡めておられるが、「化身土文類」には、また、

 それもろもろの修多羅によつて、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、『涅槃経』にのたまはく、「仏に帰依せば、つひにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」と。
 『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、{乃至}みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」となり。(四二九)

 (さて、多くの経説を拠りどころとして、真実と邪偽との区別を考え、仏教の正因縁と異なる外道のまちがった考えを誡めるならば、『涅槃経』に書かれてある。「仏に帰依するならば、一生涯そのほかの諸天諸神に帰依してはならぬ」と。
 『般舟三昧経』に説かれてある。「在家の人で、この念仏三昧を聞いて行じようと思う者は、……中略……みずから仏に帰依し、法に帰依し、比丘僧に帰依せよ。外道の教えにしたがってはならぬ。諸天を拝んではならぬ。鬼神を祠ってはならぬ。日のよしあしを視てはならぬ」と)


と、諸神を帰依の対象としてはならないこと、まじないや占い等の迷信によってはならないことを厳しく誡められ、また『正像末和讃』にも、

 五濁増のしるしには    この世の道俗ことごとく
 外儀は仏教のすがたにて  内心外道を帰敬せり(六一八)
 かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに
 仏教の威儀をもととして  天地の鬼神を尊敬す(同)


と、当時の仏教界の大勢が、内実は鬼神を祀るという仏教に非ざるものに変質してしまった様相を嘆かれている。すなわち、諸神とは、軽んじてはならないものではあるが、また帰依の対象とはならないものであって、仏・菩薩に対する姿勢と諸神に対する姿勢は明確に区別されるべきものである。(つづく)
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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