蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(42)

 一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、無上大利の功徳をあたへたまふこころを、『和讃』(正像末和讃・三一)に聖人(親鸞)のいはく、「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」。この和讃の心は、「五濁悪世の衆生」といふは一切われら女人悪人のことなり。さればかかるあさましき一生造悪の凡夫なれども、弥陀如来を一心一向にたのみまゐらせて、後生たすけたまへと申さんものをば、かならずすくひましますべきこと、さらに疑ふべからず。かやうに弥陀をたのみまうすものには、不可称不可説不可思議の大功徳をあたへましますなり。「不可称不可説不可思議の功徳」といふことは、かずかぎりもなき大功徳のことなり。

この大功徳を、一念に弥陀をたのみまうすわれら衆生に回向しましますゆゑに、過去・未来・現在の三世の業障一時に罪消えて、正定聚の位、また等正覚の位なんどに定まるものなり。このこころをまた『和讃』(正像末和讃・一)にいはく、「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益ゆゑ 等正覚にいたるなり」(意)といへり。「摂取不捨」といふは、これも、一念に弥陀をたのみたてまつる衆生を光明のなかにをさめとりて、信ずるこころだにもかはらねば、すてたまはずといふこころなり。

このほかにいろいろの法門どもありといへども、ただ一念に弥陀をたのむ衆生はみなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめ疑ふこころあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目6通)



「一念に弥陀をたのみたてまつる行者」には、この上もなくすぐれた、大きな利益をもたらす功徳を恵み与えて下さるということを、

五濁悪世の有情の
 選択本願信ずれば
 不可称不可説不可思議の
 功徳は行者の身にみてり(正像末和讃)


と親鸞聖人は教えられています。これと非常によく似たお言葉が『高僧和讃』にもあり、そちらでは「五濁悪世の有情」が「五濁悪世の衆生」になっています。どちらも同じ意味で、一切の私達ということです。私達のようなあさましい一生造悪の凡夫であっても、「後生助けるぞ」の阿弥陀仏の仰せを聞き受け、仰せの通り弥陀に往生をおまかせした者を必ずお救い下さるということは、少しも疑いないことです。このように「弥陀をたのみまうすもの」には、不可称不可説不可思議の大功徳をお与え下さいます。「不可称不可説不可思議の功徳」というのは、称讃し尽くすことも、説き尽くすことも、心で思い計ることもできない功徳ということで、名号の功徳の計り知れないことをいいます。
この大功徳を、「一念に弥陀をたのみまうすわれら衆生」に回向して下さるがゆえに、私達の過去・未来・現在の三世の業障が一時に罪消えて、正定聚の位(等正覚の位)に定まります。このことを

弥陀の本願信ずべし
 本願信ずるひとはみな
 摂取不捨の利益にて
 無上覚をばさとるなり(正像末和讃)


と親鸞聖人は教えられています。蓮如上人が書かれているのと原文とは違いがありますが、現生で正定聚、当来無上の悟りを開くという現当二益の意味に違いはありません。「摂取不捨」とは、「一念に弥陀をたのみたてまつる衆生」を光明の中に摂め取って決してお捨てにならないということです。
この他に色々な法門がありますが、「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」は皆ことごとく報土に往生することは、さらさら疑いないと教えられています。

ここでも蓮如上人は、親鸞会流「三願転入の教え」や横の線に該当する教え、一切衆生必堕無間という教え、まず地獄一定の自己を知らされねばならないという教え、獲信のためには善知識の指示に無条件服従しなければならないという教え、因果の道理を説いて獲信目指して廃悪修善をせよという教え、宿善を求めよ・厚くせよという教えなど、親鸞会で言われる様々な珍説を全く教えられていません。親鸞会の主張は、18願の世界に出るには、このお手紙で言うと

「一念に弥陀をたのみたてまつる行者」
「弥陀をたのみまうすもの」
「一念に弥陀をたのみまうすわれら衆生」
「一念に弥陀をたのみたてまつる衆生」
「ただ一念に弥陀をたのむ衆生」


になるためには、19願・20願の道程を通らなければならない、いわゆる19願の善行・20願の念仏行を修めなければならないというものです。しかし、蓮如上人はどのお手紙にもそんな教えは説かれていません。いつも高森会長が、

「(横の線を指して右から左へなぞる)この道を通って、(縦の線を指して)ここで救われる」

と説明する時の、横の線は存在しないということです。親鸞会ではこの縦と横の線の図を徹底的に叩きこまれ、会員さんは横の道を進まなければ縦の線には辿り着けないと固く信じています。これこそが只今の救いを未来の救いとしか思えなくする元凶であり、18願の救いを撥ねつける自力の計らいです。こんなものを信じている限りは、100年親鸞会で求めても救われることはないでしょう。今生では無理ということです。「死ぬまで求道」ということです。それでも親鸞会で求めるというなら止めはしませんが、そんな助からない教えに他人を道連れにするのは止めて下さい。
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矛盾をいくら指摘しても、気付かないのがナンセンスだよね高●を先生扱いしてるのがもうだめだな 

>絶倫棒様

純粋に信じている親鸞会会員とはそういうものです。高森会長の説を絶対視し、会長の説を守ろうとしているのです。絶倫棒さんが言い続けて疑問を持ってくれたらいいのですがね…
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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