消えた空しい、淋しい心

親鸞会在籍当時は、とても空しい、淋しい心を抱えていました。よく通勤時などにこの言いようのない空しい心が去来して、その都度虚無感に襲われました。

どれくらいの値打ちがあるだろう?
僕が今生きているこの世界に
すべてが無意味だって思える
ちょっと疲れてんのかなぁ(Mr.Children)


の歌詞が実に身に染みました。勿論、楽しいことや嬉しいことが一つもなかったわけではありません。仲間とのカラオケや語らい、新天地へのドライブ、射水市を中心としたラーメン探検隊などは楽しかったですし、いい思い出として残っています。しかし自分の人生、自分が今生きているこの世界にどれくらいの値打ちがあるだろうか、と考えると心は暗くなり、「自分は人生の目的を聞いているのに、どうしてこんなに空しいのだろう」とよく思っていました。『なぜ生きる』には、

 生きる目的がハッキリすれば、勉強も仕事も健康管理もこのためだ、とすべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、
「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」
と“生きる力”が湧いてくるのです。(p.35)


とあるのですが、正直私は心から充実した人生どころではありませんでした。1年生の時こそ勧誘も積極的にやれましたが、それからは声をかけるのが嫌で嫌で…。新勧が来る度に嫌でした。ビデオ法話は勿論、富山でも聴聞の際は眠くて仕方ありませんでした。社会人になってからは、月から金は仕事で土日は富山参詣やビデオ法話、という同じことの繰り返しでした。仕事で疲れていてビデオ法話が眠気との格闘になり、全く聞けずに敗北感を味わいながら帰宅したことも多々あります。その後眠ることが至福だったなぁ…。おつとめもやらねば宿善が厚くならない、信仰は進まない、後生は一大事だと言われていたからしていたに過ぎず、しばしば眠気や疲労との格闘で身が入りませんでした。それでも富山へは行き続け、講師試験なども受け続けて大講師という認定も受けました。しかし時間ばかりが流れ、人生の目的達成はおろかそれに近づいている気配もなく、「死ぬまでに達成できるだろうか」と考えるととても不安になりました。とにかく聞き続けること、求め続けることが大事で、途中であきらめた者は負け、続けた者勝ちのような気持ちでした。そして「自分はまだ分かっていない、ちゃんと聞けていないんだ」と自分を責め、ますますつらくなったのを覚えています。

親鸞会から離れ、本願を信じ念仏するようになった今は、当時の空しい心はありません。自分の人生は、本願に帰依してこの火宅無常の迷いの世界から出て離れ、二度と迷うことのない身になるためだということを、親鸞聖人から教えられ知らされたからです。また南無阿弥陀仏が常に共にあり、「淳心房を救うぞ」のお勅命をいつも頂戴しているからです。かといって相変わらず食べたい、飲みたい、楽がしたい、眠たい、褒められたい、悪く言われたくない等の欲の心、欲を妨げられた時にカッとする怒りの心、ねたみそねむ心は多く間なくして、朝から晩まで絶えません。仕事はつらく疲れますし、日々のサイクルを回すのも容易ではありません。数日前は、娘からまた『お腹の風邪』をうつされ、それでも仕事は休めずに苦しい思いをしたりしました。ただ往生に関しては、「助けるぞ」の弥陀の勅命を常に聞き受け、ひとえに阿弥陀仏におまかせして後生をくつろがせて頂いています。

あの、いつまでも終わりのない活動をし続けている会員さん方のやる気には、正直頭が下がります。私にはとてもできないことでした。ただ、阿弥陀さまに自分のやる気を見せても無意味です。阿弥陀様は、自分が「後生助かりたい」と思う遥か昔から「お前の後生助けるぞ」と願われ、「助ける用意は整えたからまかせてくれ」と喚び続けられています。私達はただ、その勅命に委ねるばかりにて、今度の一大事の往生極楽は定まるのです。その勅命を聞かずに自分のやる気や努力を見せても、親の心子知らずで御親は喜んでくれません。
会員の皆さんの目的は聴聞することでも、おつとめをすることでも、善をすることでもないはずです。信仰を進めることでも宿善を厚くすることでもないはずです。平生只今救われて迷いの世界を出離することでしょう。平生只今の救いなのに、何かが進むも進まないも、厚くなるもならないもありません。もし真に後生助かりたいのなら、真に仏恩報謝・師徳報謝をしたいなら、「聴聞して助かろう」「おつとめをして信仰を進めよう」「善をして宿善を厚くしよう」といった計らいを止めて、「助けるぞ」の勅命を聞いて頂きたいと思います。
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Mr.childrenと言えば

いつもありがとうございます。私の場合は、「終わり無き旅」が当時よく頭の中で流れていました。

>山も山様

こちらこそありがとうございます。言われて見れば「終わりなき旅」もそうですね。この歌は新勧で人生を旅に喩えたものとして新入生に話すことが多かったです。

No title

こんにちは。
いつも楽しく拝見しています。有益なブログです。
私は学生時代、会長の講演会の帰り道に喩えようもない虚しさに襲われることが多かったです。自分の聞き方が悪いせいかと思っていましたが、教えが間違っていたからだと今はわかります。

>名無し様

ありがとうございます。

私も富山からの帰り道は虚しかったですが、仲間と一緒に復習したりして幾分かは気が紛れていました。でもいつも一人だったらとっくに辞めてましたね。
そうなんです。会員の思考回路は、「会長先生は正しい、誤りがあるのは自分の方」となっているので、名無しさんのように思ってしまうのも無理からぬこと、いや当然のことだと思います。教義の誤りに気付けてよかったですね♪

おらは、保育園の頃からかわらず

氏ぬのがおっかなかった「人生の目的」とか価値とかどうでもよかった  ただ、氏ぬのが怖い

だから、松若丸には禿同したもんだ 

>絶倫棒様

久しぶりi-278
本願力に乗ずれば、往生は一定ですよ。「助けるぞ」を聞いて下さいね。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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