親鸞会にいようと人生は『終わりなき旅』、親鸞会にいるからこそ人生は『終わりなき旅』

消えた空しい、淋しい心の記事にコメントを頂いて、

歌まっぷ Mr.Children『終わりなき旅』

を見てみました。この歌はよくカラオケでも歌うのですが、歌詞を見てつくづく「親鸞会にいようと人生は『終わりなき旅』だなぁ」と思いました。私は会員時代、カンナみたいに命を削りながら会員として何をしていたかと言うと、富山への往復、高森会長や講師の話を聞く、おつとめ、勧誘、献金などです。毎年同じことの繰り返しでした。

「人生には目的がある、完成がある、卒業がある、決勝点がある」
「平生達者な時、三杯御飯がおいしく食べられる時、助かったということがある」


などの高森会長のオコトバは耳タコでしたが、自分を含め周りの誰も助かってはいないようでした。親鸞会の話は実際のところ、宿善薄い我々は善をして宿善を厚くしなければ助からない、19願・20願の道程を通らなければ18願の世界には出られない(まず19願の善をしなければ信仰が進まず助からない)、というものです。どれだけの活動をしたら宿善が厚くなって助かるのか、信仰が進んで助かるのか、全く先が見えないまま、とにかく黒板に書かれた横の線を指して「この道を進め」と言われてきました。今生で信心決定できなければ死ねば無間地獄だと脅されていますから、やらないわけにはいきません。しかし聞いても聞いても、活動しても活動しても、全く解決の糸口さえ掴めないのです。しかも、支部長を始め自分より遥かに活動している周囲のどなたも助かっていない様子で、自分は到底無理ではないかと半ばあきらめていました。私は信心決定した自分を夢に見、卒業、決勝点を目指しながらも『おわりなき旅』をしている、そんな心境でした。

今となっては、「親鸞会にいるからこそ人生は『終わりなき旅』だなぁ」と言った方が適切でしょうか。真宗に19願の勧めはありません。19願は、「至心発願して諸の功徳を修めた者を臨終に迎えにいき、極楽(化土)へ生まれさせる」という自力諸行往生・臨終来迎の願です。ですから、至心発願して諸の功徳を修めた者でなければ助かりません。それに助かるとしてもそれは臨終であり、平生達者な時、三杯御飯がおいしく食べられる時にではありません。更に、往生行としての諸の功徳、つまり諸善は雑行であり、真宗では捨てよと嫌われる行です。「19願の善をせよ」とはつまり「雑行をせよ」ですから、善知識方のお勧めとは真逆です。

また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。(信文類)

【現代語訳】
また、浄土門の中に横出がある。それは三輩・九品の機が定善・散善を修め、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教えである。

正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。(化身土文類)

【現代語訳】
正とは、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行である。助とは、称名以外の読誦・観察・礼拝・讃嘆・供養の五種である。雑行とは、正・助の行以外をすべて雑行というのである。これは、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善・散善や世福・戒福・行福の善を修め、三輩・九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えである。

このように、親鸞会の勧めは横超に対して横出、頓教に対して漸教、正行に対して雑行、他力に対して自力なのですから、先が見えない、解決の糸口さえ掴めないのは当然のことなのです。会員の皆さんは、助からない原因を高森会長には探さず、聞き切らない自分が悪いと思っていることと思いますが、そうではありません。原因は教えが間違っていることにあります。だからその通りにやっていて助かる道理がないのです。

それと、信心獲得をゴールに見立て、そこまで進めば終わりのように思っていたら間違いです。私も高森会長が、「卒業してからが大活躍の始まり」だと言っていること位は知っています。しかし実際のところ、会員さんの心境としては信心獲得がゴールで、そこが終着地だと思っているのではないでしょうか? 私はとにかく信心獲得が全てであって、そこまで進めば終わり、決着だと思っていました。そして、往生成仏に関してはほとんど興味が湧きませんでした。本来仏教を聞く目的は成仏にあり、その手段が信心獲得であったのにも関わらずです。
信心獲得とは「必ず助ける」本願を疑いなく受容したことで、それは現在只今のことです。今からその境地を目指していくという、未来へ向けたものではありません。また、それからが「浄土の旅」の始まりです。浄土の旅と言っても、いつも順風満帆、苦悩は煩悩即菩提で瞬時に幸福に転じ変わり、いつも無上の幸せが満ちている、というものとは違います。確かに、常に南無阿弥陀仏と共にあり、いつ後生が来ようとも本願力に身を任せて往生は一定です。しかし、この世を生きてある限り苦悩は絶えません。いわゆる「絶対の幸福」という言葉から推測されるものとは違うということです。

親鸞会で厄介な後遺症は、救われるまでに通らなければならない道程を探して通ろうとすることです。そんなものは存在しないということは、例えば『御文章』を読んでみれば明らかです。どこにも蓮如上人は「この道を通ってここで救われる」などということは説いておられません。本来ない道を通ろうとしている限り、いつまでも『終わりなき旅』です。会員の皆さんには、辻褄を合わせるように親鸞会教義の形にはまるようなことは止めて、本願の仰せに耳を傾け、「浄土の旅」を歩んで頂きたいと思います。
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毎回、仔牛らはきちんと回答せず不満だったな

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絶倫棒様

講師部員も結局高森会長の言うことを鵜呑みにしているだけで、何も分かっていなかったということでしょう。


秘密コメント様

コメントありがとうございます。迷いの私達を念仏する者に育て上げ、浄土へ連れていくという阿弥陀仏の御誓い、私達はこの尊くも有難い仰せをただただ拝聴するばかりです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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