蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(45)

 当流の安心の一義といふは、ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり。たとへば南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のたすけたまへるこころなるがゆゑに、「南無」の二字は帰命のこころなり。「帰命」といふは、衆生の、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏後生たすけたまへと一向にたのみたてまつるこころなるべし。このゆゑに衆生をもらさず弥陀如来のよくしろしめして、たすけましますこころなり。

これによりて、南無とたのむ衆生を阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆゑに、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、すなはちわれら一切衆生の平等にたすかりつるすがたなりとしらるるなり。されば他力の信心をうるといふも、これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこころなり。このゆゑに一切の聖教といふも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこころなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目9通)



当流の安心の一義、つまり浄土真宗で教えられる信心というのは、ただ南無阿弥陀仏の六字のこころです。これは南無と帰命すれば、すなわち阿弥陀仏のお救いにあずかるというこころです。「南無」の二字は帰命ということです。「帰命」というのは、衆生が「もろもろの雑行を捨てて、我に後生をまかせよ、必ず助けるぞ」の弥陀の勅命を計らいなく聞き受け、「仰せの通り後生お助けましませ」とひとえに弥陀に往生を委ねることです。阿弥陀仏は、そのように計らいなく仰せを聞き受けた衆生をよく知っていらっしゃって、漏らさずお助け下さいます。
このように、南無とたのむ衆生を阿弥陀仏がお助け下さるという道理ですから、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、そのまま私達一切衆生が平等に救われるすがたであると知らされます。ですから、他力の信心を獲るといっても、それはすなわち南無阿弥陀仏の六字のこころです。一切の聖教というのも、ただ私達に南無阿弥陀仏の六字のこころを示し、それを信じさせようとして存在するものなのです。

やはり5帖目9通にも、親鸞会流「三願転入の教え」、横の線に該当する教え、一切衆生必堕無間という教え、善知識の指示に無条件服従せねばならないという教え、後生の為には善をせよという教え、宿善を求めよ・厚くせよという教えなど、親鸞会の珍説はことごとく存在しません。なお親鸞会では、『教学聖典(3)』に

問(41)『南無阿弥陀仏』の名号の中に、一切のお聖教が納まっていると教えられている蓮如上人のお言葉と、その根拠を示せ。
答(41)○他力の信心をうるといふも、これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこころなり。このゆゑに一切の聖教といふも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこころなり。(御文章五帖)

という設問を作っていますが、大事なことが忘れられています。5帖目9通全体を通してみれば分かりますが、大事なのは「名号の中に、一切のお聖教が納まっている」というよりは、「他力の信心といっても、それは全く南無阿弥陀仏の六字のこころである」ということです。「南無(我をたのめ)阿弥陀仏(必ず救う)」を疑いなく受容したすがたが信心であり、南無阿弥陀仏の他に信心はありません。だから、その信心の体である南無阿弥陀仏のいわれを聞かないことには信心獲得も何もないのです。それを「信心獲得するには、こういう道を通って…」等と方法論を説き与えることは、真宗の信心が何であるか何も分かっていない証拠です。あるいは分かっているとしても、聞く者の信心獲得を願って話をしているのではないのです。
高森会長は、名号の功徳は一切経に納まり切らないなどと説いたりはしていますが、肝心の南無阿弥陀仏のこころを説きません。たとえ説いていたとしても、会員さんは信心獲得するのに必ず通らねばならない道程がある、まず19願の善をしなければならない、などと方法論ばかり教えられていますから、現在只今助けるという阿弥陀仏の仰せを聞いていないのです。名号の中に一切のお聖教が納まる納まらないという話よりもまず、南無阿弥陀仏のこころを説くことが大事です。それを説かずに、相変わらず方法論ばかり教えるようであれば、会長の目的は、会員の信心獲得・往生成仏以外にあると見て間違いないでしょう。
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やっぱり高●を先生扱いがよくないな某研Q室では「先生」って言うのを禁止している 

目的もなにも、ボケちゃってない?

>絶倫棒様

現在は会長を止められる者が会内におりません。結果的にはそれが会の腐敗を早め、会員の離反につながっているのですから、好きにさせておけばよいでしょう。

おそらく私もそう思います。彼らは目的という言葉をよく使うので、それに合わせているまでです。

じいさん一人止めらんないとかすげーな児●も●イングロードだし、負けはないっしょ?

一向専念無量寿仏は曲げるべきではない 

>絶倫棒様

会員は、実質は阿弥陀仏より深く信じていますからね。阿弥陀仏に一向専念ではなく、会長に一向専念になっているのが彼らの現状です。上層部としても、会長の絶対的権威を落とすわけにはいかないのです。

高●教で助かった人がほとんどないでしょ? ボケ話だけぢゃなく、交代で話すべきでは?

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絶倫棒様

というよりは会員さんを解放して差し上げた方がよろしいかと思います。


別記事の秘密コメント様

プロフィールの欄に書かれているアドレスにメールを頂きたいと思います。


この記事の秘密コメント様

親鸞会では一部のみを切り取ってあのような教学問題を作りますが、それがよろしくないのです。蓮如上人はこのお手紙でもずっと南無阿弥陀仏のこころを説かれ、そして最後に、一切の聖教は私達に南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめるためにあると教えられています。私達は六字のこころをよく心得て往生成仏の身とならせて頂くのが大事なのです。
その六字のこころはそっちのけで、人生の目的だの絶対の幸福だのと誘い、必堕無間だと脅し、善知識の指示に無条件服従せよと教えるのはカルトの教えです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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