蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(47)

 そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。もつてのほかの大事なり。そのゆゑは、信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひともすみやかに決定のこころをとるべし。 人間は不定のさかひなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがふべきものなり。されば当流には信心のかたをもつて先とせられたるそのゆゑをよくしらずは、いたづらごとなり。いそぎて安心決定して、浄土の往生をねがふべきなり。

それ人間に流布してみな人のこころえたるとほりは、なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の体といふは、『経』(大経・下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。

善導のいはく、「南無といふは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」(玄義分)といへり。「南無」といふ二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、疑なく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。

さて「阿弥陀仏」といふ四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿弥陀仏の四つの字のこころなり。されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこころえたる念仏の行者とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目11通)



報恩講になると、親鸞会ではおつとめの際にこのお手紙が読まれます。ところが、報恩講で話される内容といったら、獲信までに必ず通らねばならない道程であるとか、雑行(善もどきの善)の勧めなどです。「蓮如上人はこれしか説かれていない」と言っていい、信心の体である南無阿弥陀仏の六字のこころではありません。

他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の体といふは、『経』(大経・下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。

とあるように、南無阿弥陀仏の六字のこころをよく知ることをもって、信心決定するというのです。このお手紙で蓮如上人は、「この御正忌報恩講に参詣し、懇志を運び、報恩謝徳をしようとして、親鸞聖人の御前に参った人の中には、信心を獲得している人もあるでしょう。また不信心の人もあるでしょう。これはもっての外の大事です。なぜなら、信心を決定しなければ、今度の報土の往生は不定だからです。ですから、不信心の人は速やかに信心を獲得して下さい。人間界は生滅変化する無常の境界です。極楽浄土は、永遠に変らない真実の世界です。ですから、この無常の境界を離れて、常住の極楽へ往生しようと思いをなして頂きたい。それについて当流では信心の方をもって先とせられておりますが、そのいわれをよく知らなければ無益なことです。急いで安心決定して、浄土へ往生しようと願って頂きたい」と御門徒の方々の信心獲得、往生成仏を切に願っておられます。そして説かれていることは、信心の体である南無阿弥陀仏の六字のこころだけです。

そもそも信心の体といふは、『経』(大経・下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。善導のいはく、「南無といふは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」(玄義分)といへり。「南無」といふ二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、疑なく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。さて「阿弥陀仏」といふ四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿弥陀仏の四つの字のこころなり。

信心の体というのは、『大経』に「その名号を聞きて信心歓喜せん」と説かれています。その名号(南無阿弥陀仏)を善導大師は釈して、「南無というのは帰命ということです。また発願回向ということです。阿弥陀仏というのはすなわちその行です」と仰っています。「南無」という二字のこころは、「もろもろの雑行を捨てて、我にまかせよ」という弥陀の勅命を疑いなく聞き受け、仰せの通りひとえに阿弥陀仏に往生をおまかせするというこころです。さて、「阿弥陀仏」という四字のこころは、そのように一心に弥陀を帰命する衆生を、造作もなく助けるという弥陀摂取の願力です。

されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこころえたる念仏の行者とは申すなり。

南無阿弥陀仏の体をこのように心得分けたのを、信心をとるというのです。そしてこのように心得た人を、他力の信心を獲得した念仏の行者というのです。

このお手紙でも、蓮如上人は南無阿弥陀仏の六字のこころしか説いておられません。親鸞会流「三願転入の教え」や、横の線に該当する教え、一切衆生必堕無間という教え、善知識の指示に無条件服従しなければ後生助からないという教え、宿善を求めよ・厚くせよという教え、因果の道理を強調して獲信目指して廃悪修善をせよという教えなど、親鸞会でやかましいこれらの教えは存在しません。それと、親鸞会では信心、信心といっても、中身が空なのです。信心の体である南無阿弥陀仏のいわれが聞かれませんので、信心を決定するも獲得するもないのです。これら「相伝もなきしらぬえせ法門」ばかりを説いて、肝心の南無阿弥陀仏のこころを説かない親鸞会でいくら活動しようと、今度の報土の往生は不定です。信心を決定しようと思うなら「珍らしき法」を離れて、六字のいわれを正しく説く人から聞いて下さい。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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