往生のためには「善を捨てよ」ですが、生活ためには「善を捨てよ」ではダメだゾウ(2)

ところで邪偽の是正に出された親鸞聖人のお手紙を、親鸞会では獲信・往生のために善を勧めた根拠にしているのですが、真宗教義に無知か、あえてねじ曲げていると言わざるを得ません。更には、善とは言いながらも、親鸞会で勧められる「善」の中身はとても善とは呼べるものではありません。このような「善もどきの善」を勧める親鸞会に対し、『飛雲』『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り21にてなるほどと思う回答を頂いたので紹介しておきます。


その通り。

嘘つき勧誘をやめましょう
親兄弟子供を悲しませるような活動はやめましょう
周りの人から嫌われるような言動はやめましょう
学生なら学業の妨げ、社会人なら仕事の妨げになるような活動はやめましょう

悪をやめましょうね。
そして、

正直に勧誘しましょう
親兄弟子供を喜ばせることに心掛けましょう
周りの人のことを考えて好かれるような付き合いをしましょう
学生なら普通に卒業し、社会人なら残業や休日出勤に積極的に努めましょう

と善に励んでください。
親鸞会が間違っていることですよ。

更には、

盗作をやめましょう
浄財の私的流用をやめましょう
嘘をつかないようにしましょう

と会長に進言しましょう。



会員さんは善に関して二重三重に誤っています。それは

1、獲信・往生と修善が関係あると思っていること
2、親鸞会で勧められている「善」が、実態は何であるか正確に把握していないこと
3、六度万行とは菩薩行であり、法蔵菩薩がなされた兆載永劫の行のこと


という3つです。1については、「我々の善によって獲信・往生するわけではないが、縦の線(信の一念)まで進むには必要」と関係づけている人がほとんどだと思います。でなければ、何かの一つ覚えのように「光に向かって進ませて頂きます」と言ったり書いたりして、会の活動に励んだりはしないでしょう。そのように獲信・往生と関係づけて修める善を「雑行」といい、真宗では嫌われ捨てよといわれるのです。会員さんは教義の上から言っても雑行を勧められていることに気づいているでしょうか?
2については、親鸞会へ人を誘ったり親鸞会に財施したりすることが一番の善であり、自利利他の菩薩道であり、それが尊い仏縁、宿善となり、人を仏法(親鸞会)に導くままが自らの救いに連なってゆくと信じていることでしょう。自分のやっていることが単なる新興宗教団体への献金や勧誘、要は金集めと人集めの手伝いであるとは夢にも思っていないに違いありません。外道への献金や勧誘は善とは言いませんので、「雑行にもなっていない」という高森会長の話はある意味当たっているのです。
3については、六度万行とはさとりを開くための行ですから、日常生活レベルの善(親切、言行一致、忍耐、努力、反省、修養等)と同列に扱うことがそもそもおかしいです。これは大沼師のパクリ損ないであることが『飛雲』兆載永劫の御修行を、金集め・人集めにまで貶める高森会長に紹介されています。こう言うと「散善は世福(世俗の善)もあるではないか」とツッコミを入れるおっちょこちょいがいるかも知れませんが、世福は中品下生の者に対して説かれているのです。親鸞会では私達は逆謗の屍だというのですから、世福を行ずることのできるような善人ではありません。少なくとも下三品、中でも最低の下品下生でしょう。下三品の悪人に対しては善は勧められず、念仏のみ勧められているのですから、矛盾も甚だしいと言わねばなりません。

なぜ親鸞会で「善」を勧められるかと言うと、皆さんの獲信・往生のためではありません。親鸞会にとって都合がよいからです。会としては、働き蜂として会員の皆さんに人と金を集めてきてもらわねば経営が成り立ちません。「善」とは、親鸞会の経営が上手く回り、そして繁栄していくのに都合のよい言葉だったわけです。今となっては母親の「親鸞会って言っても企業なんだからね」という言葉をすんなり受け入れられます。
悪を慎み善に努めることは生活のためには必要ですが、獲信・往生と我々の善悪は無関係です。我々の善によって助からないのは勿論、修善が信一念まで必要なのでもありません。それにやるなら「善もどきの善」ではいけません。そんなものをいくらしていても闇に向かってダダ走りするだけです。そして、往生のためには、親鸞会の話にすっぽり抜けている本願のこころ、南無阿弥陀仏のいわれを聞くことです。これを聞かないことには信心獲得も何もありません。獲信・往生とは無縁なことばかり聞かされ、金集めと人集めの駒となっていることに、会員の皆さんは早く気付くべきでしょう。

えー、ご覧のように、阿弥陀仏の光明は雑行を修める行者を照らし摂めては下さいません。だから、「雑行を捨てよ」と言われます。往生・獲信のためには善を捨てよということです。しかし、生活のためには、善を捨てたらダメだゾウ。

同じ「善」と名の付く行為でも、目的に応じてやるべき場合と、捨てよと言われる場合とがあるのです。また、善もどきの善をやりまくりで悪にほこっていてはなりません。会員の皆さんには阿弥陀仏の願いを聞き、阿弥陀仏のお心にかなった死生観を構築し、本願を信じ念仏して浄土往生の本懐を遂げて頂きたいと思います。
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詐欺集団だな

・大卒が講師
・スペースウィングを素人が転がす
・川津のりされる
・法然学徒って言葉はないとか言う
・高森教と言わない
・相対性理論わかってない
・ビデオ見ると高●が違うこと言っている

>絶倫棒様

他はともかく、

・高森教と言わない

は詐欺ですね。光に向かっているつもりが闇に向かってひた走っているのです。

あと、光に向かってがイミフだな

>絶倫棒様

要は、「善に向かって」だと善の積み重ねの先に救いがあると言っているようなものなので、ごまかしのために「光に向かって」と言っているのでしょう。
教義だけ見ても自力修行、自力回向であり、実態は行が善もどきの善なので外道です。

光に向かってってのは、縦軸に向かう?それ、「いま」の救いぢゃないっしょ? 

さらに、光の世界線わかってないなW

>絶倫棒様

あの縦と横の線の図でいうと、横の線を進んで縦の線に近づくことを「光に向かう」と言いますから、仰る通り「いま」の救いではありません。既に私の元まで届いている救いの法(南無阿弥陀仏)を今ここで計らいなく聞き受けるのみですから、「いま」救われるのです。
「救われるのは一念だが、それまでは長い時間を要する」
「救われるのはただだが、それまではただではない(沢山の活動が必要)」
というのが親鸞会教義ですが、一念であって一念でない、ただであってただでない、詐欺というよりありません。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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