蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(51)

 それ、弥陀如来の本願と申すは、なにたる機の衆生をたすけたまふぞ。またいかやうに弥陀をたのみ、いかやうに心をもちてたすかるべきやらん。まづ機をいへば、十悪・五逆の罪人なりとも、五障・三従の女人なりとも、さらにその罪業の深重にこころをばかくべからず。ただ他力の大信心一つにて、真実の極楽往生をとぐべきものなり。さればその信心といふは、いかやうにこころをもちて、弥陀をばなにとやうにたのむべきやらん。それ、信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの雑行雑修自力なんどいふわろき心をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを真実信心とは申すなり。

かくのごとく一心にたのみ、一向にたのむ衆生を、かたじけなくも弥陀如来はよくしろしめして、この機を、光明を放ちてひかりのなかに摂めおきましまして、極楽へ往生せしむべきなり。これを念仏衆生を摂取したまふといふことなり。

このうへには、たとひ一期のあひだ申す念仏なりとも、仏恩報謝の念仏とこころうべきなり。これを当流の信心をよくこころえたる念仏行者といふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目15通)



弥陀如来の本願というのは、どのような者をお助け下さる本願なのでしょうか。また、どのように弥陀をたのみ、どのように心得たら助かるというのでしょうか。本願の救いを聞き、私も本願に救われて浄土往生の本懐を遂げたいと思っている人には、これほど聞きたいものはないと言ってもいいのではないかと思います。
まず、どのような者をお助け下さるのかというと、十悪・五逆の罪人であっても、五障・三従の女人であってもお助け下さいます。十悪を造っている者であっても、五逆罪という重罪を造っている者であっても、あるいは女性であっても、漏らさず助けて下さるということです。五障・三従の女人については『WikiArc』補註14をご覧ください。また、ここには書かれていませんが、別の箇所で謗法罪を造っている者、闡提の者であっても救われると教えられています。要は本願の救いに除かれている人はいない、この私をお助け下さるということです。なお、全人類が五逆、謗法、闡提であるということではありません。私はそういう者であるという自己反省は大いに結構ですが、それを全人類に当てはめて「一切衆生必堕無間」だとする親鸞会の珍釈はひどいものです。
さて、どのような罪を造っている者であっても、その罪業の深さ、重さに心をかけるなと仰せです。これまた、因果の道理を強調して罪悪を責め立てる親鸞会の教え方とは異なっています。罪業の深重に心をかけていても、それに畏れ慄くばかりで「必ず助ける」本願、法に心が向かないからです。機ばかり責めて、法を説かねば苦しいばかりで救いはありません。ですので蓮如上人は、その後に「ただ他力の大信心一つにて、真実の極楽往生をとぐべきものなり」と助ける法を明らかにしています。
では、その信心というのは、どのように心して、弥陀をどのようにたのむことなのでしょうか。それについては、

それ、信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの雑行雑修自力なんどいふわろき心をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを真実信心とは申すなり。

と教えられています。信心をとるというのは、我々衆生の造作を要しません。ただもろもろの雑行雑修自力などという本願に反する心をふり捨てて、一心に深く弥陀に帰命し、本願の仰せに疑いないことをいいます。それを真実信心というのです。
衆生の造作を要しないというのは、私達の側に「○○したら」「○○すれば」助けるというような条件は課さないということです。因果の道理をもっと深く理解し実践していったら、地獄一定の自己を知らされたら、後生に驚きが立ったら、19願の善を実践したら、宿善が厚くなったら、信仰が進んだら・・・というような条件はないということです。本願の救いは、因果の道理の理解がどうだろうが、自己の姿をどの程度知らされているとか、眠れないほど後生が気にならないとダメだとか、善をするしないとか、何かが進むとか進まないとか、それらとは無関係だということです。
「もろもろの雑行雑修自力なんどいふわろき心」とは、往生・獲信のために自力諸善や念仏を役立てようとする心、身・口・意の乱れ心を整え善くし、立派に振舞って浄土へ往生しようという心です。生活のためには三業を善くしていこうという心がけ・実践は大切なことです。しかし、それを往生・獲信に役立てようという計らいが本願に反する悪い心ですから、「ふりすてて」と教えられています。親鸞会では生活と往生をごちゃ混ぜにして「善のすすめ」などと言っておりますが、会員の目的は往生・獲信のはずですので、教義上は「雑行のすすめ」なわけです。実態はというと、親鸞会への献金と勧誘が主な活動ですから、「善もどきの善のすすめ」、もっとハッキリ言えば「悪のすすめ」です。これでは救われる人が皆無同然なのは仕方ありません。
また、「自力なんどいふわろき心をふりすてて」とあるから自力を捨てねば助からない、それにはと言って方法論ばかり説いていることも、救われる人がいない原因の一つです。自力を何とかしようというのも自力、自分では何ともなりません。何ともならないから本願を聞いて往生をおまかせするのです。本願を聞くところに自力の心が捨たるのです。本願を説かず、19願の勧めなどの方法論をいくら説いていたところで、それでは聞く者は自力にとらわれるばかりで他力に帰することはできません。
「一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なき」とは、余の善にうつらず、余の仏を念ぜず、阿弥陀仏のみを深く信じて、そのお救いに少しの疑いもないことです。阿弥陀仏以外の諸仏は我々を助ける力がないからと早々に捨てるが、諸善は信仰が進むのに必要だから獲信のその時まで捨ててはならない、というものではありません。余の善と余の仏は並列関係です。往生・獲信のために余の仏を念じないなら、同じく往生・獲信のために余の善にうつってはならないのです。余の仏を念じているのと同様、余の善にうつっている間は、一心に深く弥陀に帰することはできません。
そして阿弥陀仏のみを深く信じるといっても、こちらで信ずる心を発して信じにかかるのではありません。衆生の帰命の信心を南無阿弥陀仏の「南無」にこめて衆生に回向して下さるのです。私はただ「我をたのめ、必ず救う」という阿弥陀仏の願い、すなわち南無阿弥陀仏のいわれを計らいなくお聞きし、弥陀に往生をおまかせするばかりです。帰命の信心まで阿弥陀仏のご回向の賜り物ですから、弥陀の救いを疑う心は更々ありません。これを真実信心というのです。
このように一心一向にたのむ衆生を、かたじけなくも弥陀如来はよく御存じであって、この人を光明を放ってひかりの中に摂め取り、極楽へ往生させ給うのです。これを「念仏衆生を摂取したまふ」と言うのです。
この上には、たとえ一生涯どれだけの念仏を称えようとも、またわずか十回ほど称えて命が尽きようと、その念仏は仏恩報謝の念仏と心得なさい。これを当流の信心をよく心得た念仏行者というのですと上人は仰せです。念仏は阿弥陀仏の御回向のものですから、わずか一回、十回の念仏であっても称え足りないということはありません。あるいは、生涯何万回、何十万回称えようとも称え過ぎるということもありません。一声一声が無上の功徳のある南無阿弥陀仏です。
阿弥陀仏は、我々に本願を信じさせ、念仏を称えさせ、極楽に往生させるという誓いを建てて下さいました。そしてその願成就して、南無阿弥陀仏と成りましましたのです。その誓い、願い通りに本願を信じ、念仏を申して、浄土を目指して生きることが阿弥陀仏のお心にかなった生き方です。親鸞会流「三願転入の教え」を始めとした様々な親鸞会の珍説など存在しないことはこのお手紙からも明らかですので、そんな間違った教えは捨てて、阿弥陀仏のお心にかなった生き方をして頂きたいと思います。
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No title

ありがたいお領解ですね。

浮き沈む われを幾代か 待ちませし
心ながきは 阿弥陀 釈迦牟尼
            (与謝野 礼巌)
http://www.hongwan.net/index.php/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%83%E3%80%80%E8%A8%B1%E3%81%99%E6%AF%8D%E3%80%80%E3%80%8C%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E3%80%80%E7%A4%BC%E5%B7%8C%E3%80%8D
という詩がありましたが、ようこそようこそです。

本物を知れば偽物が判るといいますが、本物に出遇ったら某会での心の緊張を解きほぐし、阿弥陀さまの本願海の中で、ゆるゆると、このご法義を楽しんでいきましょうや。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

>林遊@なんまんだぶ様

本当に仰る通りです。ついこの間まで偽物を本物と信じ込まされてきました。大分時が経ち、以前ほどではありませんが、某会の現状やかつてのことを思い出すと心は平穏ではなくなります。
林遊様始め多くの方々に教えて頂きまして、感謝しております。これからも阿弥陀さまのお慈悲の只中で、御法義を聞き、くつろがせて頂きたいと思います。

なんまんだぶ、なんまんだぶ。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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