蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(53)

 それ、一切の女人の身は、後生を大事におもひ、仏法をたふとくおもふ心あらば、なにのやうもなく、阿弥陀如来をふかくたのみまゐらせて、もろもろの雑行をふりすてて、一心に後生を御たすけ候へとひしとたのまん女人は、かならず極楽に往生すべきこと、さらに疑あるべからず。かやうにおもひとりてののちは、ひたすら弥陀如来のやすく御たすけにあづかるべきことのありがたさ、またたふとさよとふかく信じて、ねてもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すべきばかりなり。これを信心とりたる念仏者とは申すものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目17通)


「それ、一切の女人の身は」と始まることから、これも女性に対して宛てられたお手紙なのでしょう。蓮如上人当時は、女性は罪深く、成仏できないという思想が根強く人々の間に広まっていたことと思います。上人は、女性であっても阿弥陀仏は漏らさずお助け下さいますよ、必ず極楽に往生できるのですよと懇ろにお示し下さっています。
この世は一旦の浮生であり、後生こそ一大事だと思い、生死出離の道を説く仏法を尊く聞き求めようと思う心があるならば、何の造作も要らず、阿弥陀仏を深くたのみ、もろもろの雑行をふり捨てて、「後生助けるぞ」の弥陀の仰せを聞き受けて一心に往生をおまかせしなさい。そのように弥陀をたのむ女人は、必ず極楽に往生することに更々疑いありません。このように仰せです。
弥陀をたのむとは、「阿弥陀様、どうかお助け下さい」とこちらがお願いするのではありません。「助ける用意は整えたから、どうかまかせておくれ」という阿弥陀仏の願いをお受けするのです。私達は阿弥陀仏の願いを聞き、仰せの通りに後生を委ねて、往生安堵とくつろがせて頂くのです。本願を聞くところに自力の計らいは取り去られ、疑う心は露ほどもありません。
「もろもろの雑行」とは、修善と救いを関係づけて、往生の足しにしようとしている善のことです。こうして自己の善根をたのみにしている人は阿弥陀仏を深くたのむことができませんので、「もろもろの雑行をふりすてて」と教えられるのです。
ところで、これは雑行をしている人だけに言われているのではありません。雑行をしていない人にも「雑行を修めていては報土往生できませんよ」と雑行に迷うことを未然に防いでいるのです。また、雑行と言っても諸善万行ですが、雑行ができるなら私達は逆謗闡提などではなく善人です。我々が逆謗闡提なら雑行はできません。高森理論では雑行をしていない人に「雑行を捨てよ」と仰るはずがないのだから、蓮如上人はおかしなことを説いていることになります。親鸞会教義は捏造創作教義ですから、このように矛盾点がぽこぽこ出てきます。
このように信心決定しての上には、ひたすら弥陀如来の易くお助け下さったことの有難さ、また尊さを思えば寝ても覚めても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申しなさい。これを信心をとった念仏者というのですよ。こう言われてお手紙は終わっています。

やはり5帖目17通にも親鸞会流「三願転入の教え」や横の線に該当する教え、一切衆生必堕無間という教え、善知識の指示に無条件に従わねば助からないという教え、宿善を求めよ・厚くせよ等といった教えはありません。また、五障三従と言われ、罪深く不浄であるという女性に対し、因果の道理を説いて獲信目指して廃悪修善をせよといったようなことも教えられていません。仏教で言う「廃悪修善」はとても行ずることのできぬ難行であることに加え、たとえ日常生活レベルの善にせよ、それでは自己の善根をあてたよりにする自力の計らいに囚われて弥陀をたのむことができないからです。それに、「私達は自惚れているのだからやってみなければできない自分とは分からないのだ」といって善をせよと教えられることもありません。親鸞会で教えられることは、凡夫往生の手鏡であると言われる『御文章』にその根拠が存在しないものがほとんどです。
捨てよと言われる雑行をこのみ、実態は善もどきの善をやらされ、自業苦から地獄の綱渡りをさせられている会員さんは実に憐れです。早くこの「珍らしき法」「相伝もなきしらぬえせ法門」から離れられることを願っています。
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No title

蓮如上人が御文章の他の御手紙において宿善・無宿善の機を沙汰すべしと記されています。
今回の御手紙の中で「後生を大事におもひ、仏法をたふとくおもふ心あらば」という人が宿善の機と考えてよろしいでしょうか。

>雑草様

このお手紙に関してはそう考えてもよいと思います。

蓮如上人が「宿善・無宿善の機を沙汰すべし」と仰っているのは、門徒の方々に、法を伝える時の心構えを教えるためであるというのは御存じかと思います。要は親鸞聖人の教えを聞きたい人、18願の救いを信じられる人が宿善の機です。広く一般に「後生を大事におもひ、仏法をたふとくおもふ心あらば」という人だからとて、宿善の機だとは必ずしも言えません。あくまで人を勧化する際の宿善・無宿善の沙汰ということですから、注意が必要です。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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