蓮如上人と三願転入にどのような関係が??(54)

 当流聖人(親鸞)のすすめまします安心といふは、なにのやうもなく、まづわが身のあさましき罪のふかきことをばうちすてて、もろもろの雑行雑修のこころをさしおきて、一心に阿弥陀如来後生たすけたまへと、一念にふかくたのみたてまつらんものをば、たとへば十人は十人百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまふべし。これさらに疑ふべからざるものなり。かやうによくこころえたる人を信心の行者といふなり。

さてこのうへには、なほわが身の後生のたすからんことのうれしさをおもひいださんときは、ねてもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章5帖目18通)



親鸞聖人の勧められている安心というのは、何の造作も要らず、まず我が身のあさましい罪の深いことは打ち捨てて、もろもろの雑行雑修の心を差し置いて、阿弥陀如来の「後生助けるぞ」の勅命を聞き、その仰せを一心に受け入れて往生をおまかせした者を、十人いれば十人とも、百人いれば百人とも、皆漏らさずにお助け下さいます。これは更々疑う余地のないことです。このようによく心得た人を信心の行者と言うのです。
さて、この上には、なお我が身の後生をお助け下されたうれしさを思い出す時は、寝ても覚めても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えなさい。と、このように仰せです。蓮如上人の教えはいつも同じですね。
要は、阿弥陀如来の「助けてやるぞ」を聞くのです。聞くのが即ち信です。聞くのが即ち捨自帰他です。仰せを聞くところに自力の計らいは捨て去られ、往生の一大事は阿弥陀仏におまかせと安堵するのです。

この他、本願に救われるに19願の善をしなければならないという親鸞会流「三願転入の教え」、横の線に該当する教え、一切衆生必堕無間という教え、善知識の指示に無条件に従わねば助からないという教え、因果の道理を強調して獲信を目指し廃悪修善をせよという教え等々の珍説は存在しません。これらは全くもって言語道断の珍らしき法、相伝もなきしらぬえせ法門です。
親鸞会の教えは様々に間違っていますが、親鸞会ではどうしても「今」助かりません。助かるのは、横の線を延々と進んだ先、善をして信仰が進んだ先、宿善を求めて薄い宿善が厚くなった先、即ち「未来」ということです。これでは私達は助かりません。どうしてか分からない人は、「今」を「今日」と置き換えてみて下さい。そして、今日一日でどれだけの活動をしたら横の道を進んで(信仰が進んで、宿善が厚くなって)助かるのかと考えてみて下さい。
会員の皆さんは毎日活動に励んでいると思いますが、今日は駄目だった、今日もダメだったが続き、救いを明日へ明後日へ、次回の御法話へ、次回の降誕会や報恩講へ、5年後10年後へ、果ては死ぬまでには、更には今の活動が遠生の結縁にでもなれば、と先延ばしにしてはいないでしょうか? 「今日助からない」というのは、会長の説明で言えば「死ぬまで助からない」ということです。明日という日は、明日になればまた明日、次の日になればまた明日です。どれだけ行っても明日は未来、永遠です。しかし人間の寿命には限りがあります。今日亡くなった人は今日から後生、明日はなかったのです。じゃあ自分はいつ死ぬのか? 今日ですね。これが分かれば、救いを向こうに眺めて「そこまで進め」などという教えでは助からないことがお分かりでしょう。分かった方は、今の救いに反したおかしな教えは捨てて、今救われる真宗を聞いて今救われて頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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