「聴聞に極まる」と言いながら「多聞に極まる」「活動に極まる」「(会長や上司の指示に)無条件服従に極まる」

親鸞会では、「聴聞に極まる」と言いながら「多聞に極まる」「活動に極まる」「(会長や上司の指示に)無条件服従に極まる」で、圧倒的な聴聞の量(あるいは質)、圧倒的な活動の量(あるいは質)をこなした人、あれこれ計らわず上からの指示に無条件服従した人が救われる教えとなっています。
ところが、何十年と活動している人も救われていないのが現実ですし、高森会長が言うには講師部員でさえもまだまだ十九願の入り口にも入っていないそうです。これでは、もうほとんどの人にとっては救いは絶望的です。ただ、その人が救いをあきらめず、親鸞会で聴聞、活動をさせたいので、イダイケや耳四郎の話を出して希望を持たせるのです。

「イダイケは御釈迦様の言う通りに従ったから救われた」
「耳四郎はド真剣に聞いたから1回の聴聞で信心決定した」


こういう話を聞くと、同じことの繰り返しでうんざりしている人でも、じゃあ自分も教えに従い、ド真剣に聞こうかという気持ちが芽生えるでしょう。高森信心が形成されていると引っ掛かりやすく、結局助からないのに多くのものを費やしてしまうのです。
親鸞会の聴聞は、機ばかりで法の抜けた話を聞くこと、あるいは19願を聞いて善(活動)をせよという話を聞くことです。親鸞会の活動は、信仰を進めよう(宿善を厚くしよう)としての行為です。いくら聞いて活動していてもこれではいけません。

私達を救う用意は阿弥陀仏が既に整えて下されてありますから、私としては「南無阿弥陀仏(まかせておくれ、必ず助けるぞよ)」のお喚び声をお聞きし、仰せの通りに受け入れるのみです。この他力回向の法に対して、私達の側で用意が必要と考えるのが自力の計らいです。親鸞会では自力の計らいを増長させ、会員を自力に押し留めていると言えましょう。会員さんが救われないのは聴聞や活動が足りないからではありません。ヘンテコな教えを聞いて信じているからです。この間違った教えから脱して、只今救われる法を只今聞いて、真実報土の往生を遂げる身となって頂きたいと念じます。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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