因果の道理を抜きに本願の救いを聞いて頂きたいと思います

本願の救いは、善悪賢愚の隔てなく、男女老少を選びません。今ここで、このままの私が阿弥陀仏の願いを聞き、その願い通りに本願を信じ念仏を申して、浄土へ往生する身とさせて頂くのです。

ところが、因果の道理ばかり聞かされている親鸞会では、因果の道理の上で本願の救いを計らうことになります。例えば、熱心に親鸞会の活動を続けている人は、たまに聞きに来た人がその1回の聴聞の間に救われるとはとても思えないでしょう。活動に熱心な会員さんなら、そういう人が救われたと言っていたら、素直にその言葉を受け入れられるでしょうか? もし、

自分は毎週聴聞し、毎日おつとめもし、『教学聖典』も研鑽し、人をお誘いもしている。御報謝額だってこんなにしているし、今年はこんなに顕正した。なのにろくに聞きにもこない、おつとめもしない、『教学聖典』1号すら覚えない、人を誘わない、御報謝も出さない、そんな人が救われるなどあり得ない。しかも自分より早くだなんて。救われたと言っているが思い込みだろう。極難信の法がそんな簡単に聞けるはずがない。きっと安楽椅子に腰かけているんだ。そのまま留まってしまっては大変だから、信心が誤りであることを分からせてやろう。そして続けて聞く大切さを分からせてあげなければ。

というような心が出てくるとしたら、それは因果の道理の上に本願の救いをとらえているということです。聴聞、おつとめ、教学、財施、布教等を沢山、ド真剣にやった人が救われるという考えです。こんな心を信罪福心といい、親鸞聖人はこうした自力の計らいを大変厳しく誡められています。

自分は会員であった時、自分でさえ救われていないのに、ろくに聞きにも来ないあの人が救われるなんてあるんだろうかとよく考えていました。それは自分とて講師部員や先輩方に比べたら活動量は劣っていましたが、その私より活動量が劣っている人は多くありました。自分の年間活動量を100とすると、200も300も、それ以上やっている人もいましたが、50とか10、あるいはそれ以下の人もあったと思います。死ぬまでに総活動量を一体どれだけにしたら間に合うのかと考えたりもしました。ただそれはこの先生きていられたらという前提の話で、今日や明日にも死がやってきたらアウトです。自分より活動している人は置いておいて、自分や自分より活動していない人は到底無理じゃないかという不安が出てくることもしばしばでした。今思い返すと、聴聞や活動の多少で救いを計らう、自力心の塊であったと知らされます。
冒頭に申し上げたように、そういったことは本願の救いとは無関係です。中々聞きに来られない人でも、『教学聖典』1号も覚えられない人でも、財施や布教をしない人でも、本願の救いに漏れている人はありません。そういった人のために阿弥陀仏は、本願において一切の諸行を選び捨て、念仏一行を選び取って下されたわけです。念仏ならば至って易い行ですので、時や場所を嫌わず称えることができます。しかも念仏一行を一心に称える者を報土往生させて下さるのですから、最も勝れた行です。
こうした選択本願の念仏ということを知らず、救いを因果の道理の理論で考えている限り、他力回向の法は到底受け入れられません。因果の道理は生活の上では大切なことですが、その考えで本願の救いを計らうのは自力心であって、他力の救いを真っ向から撥ね付けてしまうのです。もし私と同じく今日や明日にも死がやってきたらアウトだと思える会員さんがいるなら、親鸞会教義は捨てて因果の道理を抜きに本願の救いを聞いて頂きたいと思います。
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色欲具足な上、聖典一で挫折でも助かる?
センパイ&後輩とかも、横軸なんだよね


横軸取りながら、みみしろうとか井田池とかイミフでつ 

>絶倫棒様

大丈夫ですよi-179
親鸞会の人間は横軸でしか考えられないのです。
耳四郎やイダイケの話は親鸞会にはもろ刃の剣ですね。

講師はね、

反対派「耳四郎とか井田池は高い悟りで馬れたんだ」
●森教「弥陀の本願は一年であって、今救われる」

いうんだよ

そして横軸を取る矛盾 

>絶倫棒様

親鸞会では「高い悟りで生まれた」という説明が、「宿善厚くして生まれた」になっているだけです。親鸞会で聞いていても中々救われない私達とは違う、という点では親鸞会の説明は反対派(?)と同じです。

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>秘密コメント様

宿善を厚くする(信仰を進める)手段ということですから、そういうことです。

南無阿弥陀仏を称えるという私の行為によって救われると理解しないで下さい。南無阿弥陀仏のいわれを聞くのが信です。南無阿弥陀仏とは、「まかせてくれよ、必ず助けるぞ」という力強い弥陀の誓いであり、念仏を称えるとはその誓いを聞いていることですから聴聞です。知識や智慧は本願の救いとは関係ありません。

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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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