【補足】「なぜ反論しないのか?」の中の『涅槃経』の御文について

昨日の記事なぜ反論しないのか?で引用した親鸞会の『教学聖典6号の問(22)』

(問)破邪顕正せざる者は仏弟子でない根拠を『涅槃経』のお言葉で示せ。

(答)僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、この僧は、これ仏法中の怨なり。若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。


について補足します。以下の内容は、『清森問答』の投稿などをもとに記述したものです。有り難うございました。


親鸞聖人は、『教行信証化土巻』に『末法灯明記』を引用されていますが、その中に以下のように書かれています。

「問ふ。もししからばなにをもつてか知らん、『涅槃』等の経は、ただ正法所有の破戒を制止して、像・末の僧にあらずとは。
 答ふ。引くところの『大集』所説の八重の真宝のごとし、これその証なり。みな時に当りて無価となすゆゑに。ただし正法の時の破戒比丘は、清浄衆を穢す。ゆゑに仏固く禁制して衆に入れず。しかるゆゑは、『涅槃』の第三にのたまはく、〈如来いま無上の正法をもつて、諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属したまへり。{乃至}破戒あつて正法を毀るものは、王および大臣、四部の衆、まさに苦治すべし。かくのごときの王臣等、無量の功徳を得ん。{乃至}これわが弟子なり、真の声聞なり、福を得ること無量ならん〉と。{乃至}かくのごときの制文の法、往々衆多なり。みなこれ正法に明かすところの制文なり。像・末の教にあらず。」(教行信証化土巻)


この中の「これわが弟子なり、真の声聞なり、福を得ること無量ならん〉と」の前後の{乃至}を、『六要抄』の

「次に「功徳」の下。「是我」の上に「乃至」というは、一行余あり。その闕文に云わく「まさに小罪あることなし。我が涅槃の後、その方面に持戒の比丘ありて、正法を護持せん。壊法の者を見ては即ち能く駈遣し、呵嘖し恋治せよ」已上。後に「無量」の下、「如是」の上に「乃至」というは、除く所の文言に六行余あり。その中に前の『涅槃』の文の残り一行余なり。三に『大集経』の文、第二十八の一行有余。四に同じき二十八の二行有余。彼此の文に云わく「もし善比丘、法を壊する者を見て置きて嘖すべからず。まさに知るべし、この人は仏法の中の怨なり」。」

に基づいて補うと、

「まさに小罪あることなし。我が涅槃の後、その方面に持戒の比丘ありて、正法を護持せん。壊法の者を見ては即ち能く駈遣し、呵嘖し恋治せよ。これわが弟子なり、真の声聞なり、福を得ること無量ならん〉と。もし善比丘、法を壊する者を見て置きて嘖すべからず。まさに知るべし、この人は仏法の中の怨なり。」

となります。その後に『大集経』の文が続いた後(『末法燈明記』は真言宗泉湧寺派大本山法楽寺のホームページで全文見ることができました)、『教行信証化土巻』に引文されているように、

「かくのごときの制文の法、往々衆多なり。みなこれ正法に明かすところの制文なり。像・末の教にあらず。」

と続きますので、『涅槃経』の「仏法の中の怨」を含む部分の御文を、親鸞聖人は、正法の世の教えであり、像法・末法の教えではないと見られていたと考えられます。


そして、

「三時の教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘ふるに、周の第五の主穆王五十三年壬申に当れり。その壬申よりわが元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで、二千一百七十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説によるに、すでにもつて末法に入りて六百七十三歳なり。」

と『教行信証化土巻』に教えられているように、現在は末法です。

また、この『涅槃経』のお言葉は、どう読んでも、比丘(男性の出家者)を対象に説かれたものです。

そのような『涅槃経』の御文を根拠にして、会員に破邪顕正を勧める親鸞会は、親鸞聖人の御心に背いていると感じますがいかがでしょうか?


なお、この『涅槃経』の御文は、『往生要集』の中にも引かれています。

「ゆゑに『涅槃経』の第三にのたまはく、「持法の比丘は、戒を破り正法を壊することあるものを見ば、すなはち駆遣し、呵嘖し挙処すべし。 もし善比丘、壊法のものを見て、置きて、呵嘖し駆遣し挙処せずは、まさに知るべし、この人は仏法のなかの怨なり。もしよく駆遣し、呵嘖し挙処せば、これわが弟子なり、真の声聞なり。」

いずれにしても、親鸞会で使われている文と同じではありません。

大正新脩大藏經テキストデータベースで検索しても、親鸞会で使われている御文とまったく同一の御文は出てきませんでした。

教学聖典に出ている『涅槃経』の御文と同一のお言葉は、一体どこにあるのでしょうか? もしかして、お経のお言葉を少し変えているのでしょうか? 教学聖典通りの御文の出典をご存知の方は是非教えて下さい。


この『涅槃経』にあると言われているお言葉が該当するかどうかはまだ不明ですが、親鸞会では根拠がないものや根拠が不明なものが、さも経典やお聖教の中にあるかのように説かれていることがあります。どうせ探しはしないだろうと会員を舐めているのでしょうか?

このように教えを説き、仏教をねじ曲げる者を悪知識と言いますから、そんな悪知識に無条件に従ったところで助かる道理がありません。貧と恥と後悔あるのみです。

会員に限らず講師部員も、早く誤りを誤りと正見し、正しい浄土真宗に帰依して頂きたいと念じます。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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