退会して2年

気がつけばもう10月も終わりです。今年もあと2ヶ月を残すのみとなりました。
親鸞会を退会して2年。もう2年というか、まだ2年というか。とにかく退会してよかったです。中には退会して残念なこともありますが、本日はそのよかったこと、残念なことを書いてみたいと思います。


○退会してよかったこと

・教義と自分との隔たりに苦しまなくなった
例えば「光に向かって進みなさい」と言われても、三業は煩悩だらけで「こんなことで光に向かって進めているのか」と常に葛藤。生活上での善いことにせよ、会で推進される活動にせよ、実践するのは難しく、そして苦しい。「そう知らされるのは光に向かっている証拠だ」と言われたり、自分と同じような悩みを質問してきた人に同様のことを言ったりしていたが、「本当にそうか?」という気持ちは拭えない。教義の通りにできたら助かるかも知れないが、自分にはとてもできることではない。教義と自分には、とても埋められない隔たりがあると苦しんでいました。
退会後、親鸞会教義は真宗とは似て非なるものであること、真宗の教えはまことに自分に相応した法であることを知りました。

・自分の心を責めて苦しまなくなった
悪いことを思ったり、言ったり、やってしまったりした時、「こんなことでは助からないのでは…」と自分を責めていました。しかし改めようとしても中々直るものではありません。特に心はどうにもなりません。それでまた「こんな心では…」と自分を責め、苦しんでいました。
退会後、そのような自分の三業の良し悪しで弥陀の救いを計らう自力心は、本願を聞くところに捨たりました。よってそれによって苦しむことはなくなりました。

・空しい、淋しい心が消えた
消えた空しい、淋しい心にて書きましたが、当時は言い様のない空しい、淋しい気持ちが自分の心を覆っていました。
退会後、本願を信じ念仏申す身となり、当時の空しい、淋しい心は消えました。

・慢性疲労がとれた
月~金は仕事、土日は毎週のように富山との往復という日々で、ゆっくり休む暇がほとんどありませんでした。聴聞し、運転して帰宅。その疲労が回復し切らない内に仕事に行く。そしてその疲労が回復し切らない内に運転し、聴聞する。この繰り返しに加え、心を責めて苦しみ、空しい、淋しい心がありましたから、この慢性疲労状態での生活、活動はつらかったです。危ない場面も幾度もありました。いつ居眠り運転で事故を起こし、後生へ旅立っていてもおかしくはなかったと思います。また、心のゆとりはなく、優しい人に度々つらく当たってしまいました。今思い返すと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
退会後、徐々に慢性疲労は回復しました。休日に休めるというのはやはりいいものですね。また、仕事は大変ですが、以前よりずっとまともに取り組めます。

・「勧誘しなければ」という観念から解放された
会員の時は、親や兄弟、友人にお伝えしなければという観念があり、心安らかではありませんでした。自分自身救われてはおらず、当然その喜びもない、それでいて伝える内容は後生は必堕無間という最悪の事態の話でしたので、「伝えたい」ではなく「伝えなければ」という義務感のようなものでした。私は親鸞会で活動していて上記のように苦しいことばかりでしたので、法話への誘い位で、会員になって一緒に求めようと誘うことには抵抗がありました。
ところで、勧誘の際、宗教であるにも関わらず「それって宗教?」と聞かれるとやましい気持ちになり、「違う」と答えてしまう自分が嫌でした。「そうだ」と答えたら偏見の目で見られることは明らかで、友人が減ってしまうのを内心恐れていたのです。自分の聞いている教えは唯一絶対にして真実の宗教だと思っているのに、人に聞かれるとやましい、隠したい気持ちが出てきてしまう。本当におかしなことでした。
退会後は、そんな強迫観念のようなものはなくなり、幾分穏やかになりました。現在はブログを書いたり、たまに祖母に手紙を書いたりする程度のことしかしていませんが、自分のできる範囲でマイペースにやっていくつもりです。

・生活にゆとりができた
時間や体力に関しては述べてきた通りですので、ここではお金に関してです。私は中間かやや少なめ位だと思いますが、会費や御報謝、月3回の参詣で月に6万程度、大きい行事などがあった月には10万位使っていました。手取り20万前後でのやりくりでしたので、贅沢はできませんでした。
退会後はそれがそっくり残るようになったので、あるいは家族で旅行や食事をするのに使ったり、あるいは子供への養育費なども考えて貯蓄したりしています。ローンを組んで一軒家を持つ位はできます。私には会員として活動を続けながら妻子を養っていくのは無謀でした。本当によい時期に辞められたものです。



○退会して残念なこと
・周囲の友人、知人が減った
親鸞会を離れて残念なことというと、これ位しか思い浮かびません。苦楽を共にした仲間の多くと袂を別ったのは実に残念です。できるなら、あの時多くの会員をMCから解き放ちたかった。ただ、他宗教にも多くの人が信仰しているのを見ると、それも仕方ないのかなと思います。早く気がつく日が来ることを願うばかりです。
さて、親鸞会では仏縁は血縁よりも深いなどと言っていますが、案外浅いものだと知らされます。まあ親鸞会の場合、仏縁というより高森会長との縁ですから、浅いでしょうね。本当の仏縁はものすごく深いものなのでしょう。



親鸞会では正しい法が聞かれませんし、活動は大変ですので、残るメリットが見当たりません。退会すると親鸞会関係の人間関係は少なくなったり、場合によっては皆無になったりしますが、正直デメリットはこれ位です。新しく人間関係を形成するチャンスは転がっていますし、あるいは中学や高校の友人と再び交友を深めたりしてはどうでしょう。親鸞会は、これからも活動していくに値する団体なのかどうか、750回忌も終わった今、会員の皆さんには立ち止まって考えて頂きたいと思います。
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No title

真偽検証さんが述べている退会してよかったこと、私も大体同じように思います。
ところが会員からしたら、こういうことが結局「求道の苦しみに負けて欲に流された」という風にしか受け取れないんです。
私は幹部会員だったころ、退会して幸せになっていく人を見て、そんなように思っていました。今思えば単にうらやましいというか、ひがんでいるだけだったんですが。
会員さんで退会した人を楽に溺れたと言っている人は、そう言わずにおれない自分の心の源をよく観察していただきたいです。
あと退会して残念だったこと、私もこれが大きかったです。
現会員からすると、友人を失うことの恐怖や不安が退会をとどめている理由として大きいでしょうね。
自分も退会していった人との人間関係を切りまくっているわけですから、自分が辞めたら誰も付き合ってくれなくなる、それどころか冷たい目で見られることは何となく分かっているでしょうし。
そういう所を会もうまく利用して辞めにくい状況を作っているのでしょう。
退会したら欲に流され闇(地獄)にまっしぐら、そして今まで築き上げたもの(友人など)失うことになるぞ、という感じで。
こういう点を、欲におぼれたのでなく人間らしい生活ができるようになり法を聞けることができるようなった、退会して本当に信頼ある人間関係を構築できるようになった、ということを会員さんが理解できればいいのですが。

Re: 名無し様

会員は、会長の本や講師部の話などの影響で、退会者のことを「求道の敗残者」だと思っているでしょうね。しかし中には身体の都合で求道(活動)できない人もいるのです。第18願の十方衆生という意味が分からず、選民思想に陥っているが故の考え違いです。
会の活動に熱心な人、熱心だった人ほど、親鸞会以外との人間関係は希薄です。今までしてきたこと、築き上げてきたものを捨てる覚悟が必要ですから、現在何かの事情で会の活動についていけなくなった人でも退会の決断をするのに大きな障害となっていると思います。
しかしよく考えれば、そんなものは臨終には皆置いていくのです。今捨てるか、後で剥ぎ取られるかの違いです。やがて必ず手放すのなら、今手放して、そして決して手放されない本願の救いを聞いて頂きたいと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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