ご本願の中心は廻向のおぼしめし

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  一 信心とは、どういうことか

 <浄土に生るべき因の御名を、このままの私に与えて下さる。>

  五

 ご本願の中心は廻向のおぼしめしであります。それは、この苦悩の私をみすてたまわぬだけでなく、この私をみすてたもうことができないために、私にその御名を、心おきなく受けてくれよとて、御廻向下さるのでありました。
 どのように私をながめ、私をあわれみ、私を待ちたもうというても、それだけでは仏と凡夫は隔たっていまして、仏を見ればお慈悲は喜ばれますが、私を見れば心暗く、心安らかでありません。この御廻向の思召をしらせていただき、この御廻向を、真実の利を恵んで下さることに気づけば、強いて仰ぐことも、うつむくことも、おそれることもありません。
 ただお与えの御名一つを信受して、称えさせていただきます。
 この御名は、如来のお手元にあるのでなく、単に私の手元にあらわれたのでなく、まさしく、如来から私にさしよせてくださるこの御名、これが大悲の御涙であり、御血潮、御いのちそのものであることを聞かされてみれば、ここに何の不足がありましょうか。ただ高大な御心をよろこびて、称えます。

(p.12~p.13)



如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり(正像末和讃)


この私一人を見捨てることができないで、阿弥陀仏は大悲の結晶である御名を成就され、受けてくれよと御廻向下さるのです。それが知らされてみると、十方衆生と誓われてはいても、

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。(歎異抄)

と、私一人のための本願と仰がずにはいられません。弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに淳心房一人がためなりけり。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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