【考察】親鸞会の「善の勧めの実践」と「自因自果」

当ブログでは、

「善をしなければ信仰は進みませんよ」
「獲信の因縁(宿善)として諸善を修せよ」


と親鸞会が主張するときに提示するお聖教上のお言葉について、これまで何回も取り上げてきました。

そして、親鸞聖人の教えには、そのような説示がないことを明らかにし、偏に18願が親鸞聖人のお勧めであることを繰り返し書いてきました。

今回の記事では、親鸞会は自分たちが主張する因果の道理を本当に信じているのかどうか、親鸞会で説かれる因果の道理(親鸞会的因果の道理)に照らして考察したいと思います。



★「善の勧め」(廃悪修善)の実践について★

私が、退会するまでの最後の1年間、法話、アニメ解説、教学講義において、因果の道理の話がとても多かったと感じます。

善因善果
悪因悪果
自因自果

の話から、因果の道理の結論は、廃悪修善であると何度も聞きました。

一般の会員さんは、それが本当に善になっているかどうかは別にして、親鸞会で「善」とされる法施活動(支部だとチラシ配りなど、学生だと新入生の勧誘や友人・家族顕正など)や親鸞会への財施に本当によく頑張っておられると思います。

しかし、高森会長及び親鸞会上層部はどうでしょうか?
これらの人々が廃悪修善をまともに実践しているとは言い難い事例が『さよなら親鸞会』には多数取り上げられています。

このブログの読者の皆様は、すでに『さよなら親鸞会』を読んでいると思いますので、具体的な内容は省略させて頂きます。

ただこのブログで扱っている教義問題に関することをいくつか列記すると、

「親鸞会教義の誤り」への反論を依頼した特専部員を除名する。
・反論もしないのに、「これが親鸞聖人の正しい教えだ」と主張し、間違った教えを弘め続ける。「誤りを犯さないことを誇りとするよりも 誤りを直ちに改めることを誇りとしよう」ではなかったのか。
・大沼氏や伊藤氏からの盗作しておきながら、あたかも自分が書いたものであるかのように振る舞う。
・意図的な断章をした御文を教学聖典に用い、会員に親鸞会ドグマを浸透させる。
・根拠が存在しなかったり、根拠が間違った御文を教学聖典に掲載し続ける。
・法論すれば相手の主張を歪曲し、相手があきれて論戦放棄すると、勝手に勝利宣言。


など、会長には教えを説く者としての誠実さはかけらもありません。「善知識をおろかにおもひ、師をそしる」謗法の者とは、会長自身のことでしょう。

「三歳の童子もこれを知るが、八十の翁もこれを行うは難し」と『白道燃ゆ』(p.47)に書き、昨年も何回か説法していましたが、自分が廃悪修善をできていないことの言い訳にはなりませんし、やっていない者が廃悪修善を説いても説得力がまるでありません。

「廃悪修善」を実践していないから、会長批判・親鸞会批判がやまないのです。まさに自因自果であります。



★「自因自果」を認めない★

しかし、会長批判・親鸞会批判に対しては、「謗法だ」「後生の一大事の分からぬ者たちの誤解・たわごとだ」など様々な言い訳をします。「国家権力の妨害だ」というのもありました。

そのような言い訳は、はたして正しいのでしょうか?親鸞会的因果の道理に照らして考察してみます。

今、「高森会長・親鸞会が非難される」ということを果としましょう。

すると、その因と縁は何でしょうか?
因は、間違いなく親鸞会であり、会長自身の蒔いた種です。
縁は、誹謗する者、後生の一大事の分からぬ者達、国家権力など、非難する人達になります。

「火の車 造る大工は なけれども 己が造りて 己が乗りゆく」
の歌を出し、「自分がまいた種で自分が苦しむのだ」と、いつも説いている通りです。

ところが、高森会長とその側近、一般会員に至るまで、「高森会長・親鸞会が非難される」ことについて、自因自果がどうも認められないようです。

そのように縁である非難する人達だけを問題にし、うらみ、悪口をいい、攻撃していることを、
「ナワを うらむ 泥棒」
というのです。

自分によい結果がきたときは自因自果が認められるが、自分に悪い結果がきたときは自因自果と認められないとも説いていましたね。

後者の例として、「高森会長・親鸞会が非難される」ことに対する親鸞会の対応がよくあてはまります。


また、蓮如上人以来の善知識会長先生・真実を説く唯一の団体親鸞会ですから、そんな御方・団体に非難される悪因があるなんて、会員にはとても言えないことです。

もし、高森会長・親鸞会が悪いと思ったならば、退会します。実際、会長・親鸞会の実態を知った人から退会しています。私もその一人です。

親鸞会に残るのには自因自果を認めてはいけない、反対に自因自果を認めたら退会せざるを得ない団体が親鸞会です。自浄能力があるのならば、自因自果と認め、悪いところを改めていけばよいのですが、今の親鸞会にはとても無理なことでしょう。



★今回のまとめです★

親鸞会では、因果の道理をどれだけ深く信じているかが信仰のバロメーターとも聞きました。

そして、因果の道理を信じている者は、善果がきたときは感謝となり向上になる、悪果がきたときは懺悔となり反省になると説いています。

しかし、その説いている本人が、悪果がきたときに反省もなければ懺悔しているとも思えない、また廃悪修善を本当に実践していることも疑わしい。言行不一致も甚だしいです。一体、その人の「信仰」はどの程度のものなのでしょうか?

なお親鸞会的因果の道理は、仏教の因果の道理とは異なることが、最近、いろいろなところで批判されています。

『親鸞会教義の誤り』
親鸞会は諸行往生6
親鸞会は諸行往生7

『清森問答』
質疑応答183
質疑応答184
質疑応答185
質疑応答186
質疑応答187
質疑応答188
質疑応答189
質疑応答190

など、それらのリンク先をご覧下さい。

「善知識をおろかにおもひ、師をそしる」謗法の者とは「同座せざれ」と親鸞聖人は仰っています。

はやくそのような人物・団体から離れ、阿弥陀仏に救い摂られる方が一人でも多く現れる事を念じています。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

コメントのしようもなくなってしまうので、
ぐうの音も出ない文章にしては、いけません。。笑)

>YGMさん

この位ハッキリ言ってあげないと、会員さんは目を覚ましてもらえないと思いまして(;^_^A

No title

言行不一致と言うと、
親鸞会は、「持戒=言行一致」とか「禅定=反省」とか、
六度万行の内容もオリジナル解釈で歪めてるのはあまり採り上げられませんよね
この記事での指摘通り、言行一致や反省を六度万行として勧めておきながら
実行できてないのが滑稽なわけですが。

>-様

仰る通りです。
元々六度万行とは悟りを開くための聖道行ですから、教学聖典5号(40)の内容はオリジナル解釈です。
細かい所を挙げていくとキリがありません…

No title

あまり一度に逃げ道を塞いでしまうと、窮鼠猫を咬むで何をされるかわかりません
ので注意の程を。
 夜中に家に押しかけられたり、火を付けられたり、手足を切り取られたり
 サリンを撒かれたりしたら大変ですから。(笑)

>-様

ご忠告有難うございます。さすがにサリンは作ってないと思いますけど(;^_^A
来るなら来いって感じですよ。親鸞会会員との法論なら随時受け付けています☆
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード