親鸞会で本当の意味での信心の沙汰が行われない理由

数年前から親鸞会では信心の沙汰が騒がれ出しました。

・せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道断あさましき次第なり。所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆゑなり。(御文章1帖目12通)
・信心決定のひとも、細々に同行に会合のときは、あひたがひに信心の沙汰あらば、これすなはち真宗繁昌の根元なり。(御文章4帖目8通)
・罪のあるなしの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし。(御一代記聞書35)


などの根拠を出し、信心の沙汰が大事である、信心の沙汰をせよ、信心の沙汰が真宗繁昌の根元であると盛んに取り沙汰されました。そしてそのために購入した土地を同朋の里と名づけて使用するようになり、法話の前日や法話が終わった後に同朋の里へ寄って談合したりもしました。
ところが、信心の沙汰と称してやっていたことは、法話の復習、顕正新聞や会長の著書の輪読、それについての感想を述べ合う、また活動報告や決意発表などでした。これでは話の沙汰、文章の沙汰、感想の沙汰、報告会、発表会であって、信心の沙汰と呼べたものではありません。信心の沙汰とは、蓮如上人が仰っているように「わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰」「信心を取りたるか取らざるかの沙汰」ということですが、親鸞会の信心の沙汰にはそれがないのです。
ところで、この部分を挙げて、お世話になっていたO講師は「あなたは信心を取りましたか、私は取りました、私はまだです、これで終わってしまう、それではいけない」というように話していましたが、別にこれでは終わりませんし、不信心なら親鸞会では無間地獄に堕ちる一大事があるというのですから簡単には終われません。無常は迫っている、そして罪悪は深重なら、この場で獲信をと真剣になるはずです。この点、O講師も親鸞会でいう後生の一大事が分かっていないのだなと分かります。

なぜ親鸞会では本当の意味での信心の沙汰が行われないのでしょうか? いくつか理由が考えられますが、やはり一番は真実信心の人、救いの法を話せる人がいないことです。質問をしようにも、結局「より真剣に聞かせて頂きましょう」「より光に向かって進ませて頂きましょう」という結論に行き着くことは見え見えです。私は今ここで助かりたいのに、親鸞会では今ここで助ける本願を話せる人がいないのです。
また別の理由としては、今ここで助かるというような話をしたら教義のぶち壊しになってしまうことです。なぜなら、親鸞会では善をしなければ信仰は進みませんと言われます。これによって善をして信仰が進まなければ助からないと皆思っているのです。今ここで助かるなら、善をして信仰を進めるのはナンセンスです。そういうことで、昔はどうか知りませんが、現在の会長にも信心の沙汰はできません。数年前に、アニメ解説で必死に質問していた年配の会員を、彼は見事に無視して奥へ引っ込んでいきましたからね。会長にとっては会員の獲信よりも、独自の創作教義を守り己の繁栄を続ける方が大事なのでしょう。
他には、会員にありがちの意地やプライド、あるいは周囲への影響を懸念することなどが考えられます。聞き始めて最初の頃は、まだ信心について己の不心得を話す機会もあるかも知れません。しかし年数を重ねるにつれ返される答えは分かり切ってきますし、後輩や新人の手前己の不心得をおいそれとは話せなくなってきます。それに、特に新人さんは先輩が信心獲得しているかどうかに敏感ですから、不信心の輩しかいないのでは自分には無理だと辞めてしまう可能性があります。

まだ理由があるかも知れませんが、とにかく、救いの法もない、信心の沙汰もないでは、真宗繁昌どころではないことは言うまでもありません。全く蓮如上人のお勧め通りになっていないことに、会員の皆様は早く気付いて頂きたいと願います。
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No title

同朋の里は、信心の沙汰をするために敷地を購入したのではありません。50周年の時にも発表があったように、敷地購入を持ちかけられて、断る理由がないから購入したは本当のことです。だから同朋の里の敷地を購入した直後に、会員から使用法についての意見を募集しました。
その結果、信心の沙汰をするために同朋の里があるという説明になったのです。
だから信心の沙汰の仕方も意味も、会長自身が分かっていないです。会長が分かっていないから講師部員に信心の沙汰とはどんなものか指導することもしてませんし、できません。
親鸞会の言っていることはすべて理由は後付けです。

>幹部会員歴数十年様

なるほど、ありがとうございます。一部記事を修正しました。

No title

まさしく言われる通り。ある会員が、小杉にゆけば真剣に求めている会員が多くいて、信心の沙汰も深く出来るんだろうと思って転居したら、全然違うと言ってた。信心の沙汰では、会の法話や教学講義などで聞いたこと、会出版の本や顕真、新聞に書いてあることで関連しそうなところを記憶の中から引っ張り出して話す。記憶力の良し悪しの競争になっている。肝心の自分が救われるか否かがまったく問題になってない。特に、射水市太閤山あたりは会の職員が多いから、会の教義から逸脱するようなことは言わない。会員の模範として振る舞う。だから、求道に悩んでいるなどと、自分の心中は絶対言わない。また、会の任務で忙しいようで、そそくさと退散する。救われるには、まず小杉を離れ、会を離れないと。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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