「幸福なのでも不幸なのでもありません。おそらく多忙なのでしょう」の言葉が実にピッタリ

行けども行けどもゴールの見えない、光に向かって進む道の記事にコメントを頂きました。ありがとうございました。今回はその一つを紹介します。

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これは講師や親友部などにも言えることでしょうね。
世間ごとにまみれず、仏法一筋の人生を送りたい、そうすれば自分のような気持ちの弱い者でも光に向かって進み、早く横の道を進んでいくことができるはず、という志から講師部や親友部(学顕クラブや安心弁当、農場スタッフも含む)に飛び込む人が多いかと思います。
ところが実際に職員になると、自分の担当任務、雑務、連絡・報告・把握の事務ばかりで、ほとんどパソコンに向かい合っている生活になります。
なぜ生きるの言葉を借りれば彼らは「幸福なのでも不幸なのでもありません。おそらく多忙なのでしょう」。忙しいという字は心を亡くしている状態、とよく学生部会で聞きましたが、最も人間らしい精神を失っているのが親鸞会会員さん達ではないかと思います。なぜ生きるに依存症の話が出てきますが、親鸞会の活動にのめり込んでいなければじっとしてはいられないのです。仏法に関係ないことでも、とにかく親鸞会の活動という名のもとに動き回っていれば、何か未来に明るい兆しが見えてくる、と信じているのです。そして息を切らせながら走るのです。
講師の方で、仮に休みの日があっても何か気持ち悪くて結局活動するだろうね、と語って下さった方がありましたが、まさに活動依存症です。
そういう講師が仏法のことに関する話といっても、基本新規入会者獲得、法話お誘いなどの顕正活動、高森先生のご教導の徹底というものばかりで、「わが信心は如何あるらん」「自身の往生極楽の信心獲得のため」の信心の沙汰はありません。
講師は会員の求道姿勢についてアドバイスはしても、自身の信心を吐露することはできませんし、しません。
会員さんからしたら親鸞会では後ろ向き発言は禁止ですし、疑問をあまり前面に出すと指摘されますから、誰も本音は語らないでしょう。「心底をありのままに語れ」と言う蓮如上人のお言葉通りの信心の沙汰など考えられないことです。だからあれだけ頑張っていた人がなぜ突然…という形での退会が後を絶たないのです。みんな誰にも疑問をぶつけられず去っていくしかないのです。
何事もいかに破邪するかということが先行する親鸞会では、相手の真摯な疑問や悩みもすべて否定し、より光に向かって進みなさいという回答しか持ち合わせていないのです。
何といっても会長自身が信心の沙汰を嫌っているのですから。あなたの(会長の)信心は如何あるらん、などと誰かに聞かれたら困るでしょう。だから信心の沙汰はまずしません。
富山に行ったらできる、行ったからできない、講師になったらできる、講師になったからできないという話ではなく、親鸞会にいる限り信心の沙汰はできないのです。
努めて信心の沙汰をやろうと話しあってみると、実際は会長の話の記憶力復習か、活動の沙汰しか出来ません。お互いの活動姿勢を確認しあって、もっと光に向かって頑張らないと…ということで終わりです。
会員時代信心の沙汰をある講師とよくしてましたが、最終的には「高森先生がお答えくださる」という回答でいつも終わっていました(もちろん会長は何も答えない)。情けないがこれが親鸞会での信心の沙汰らしきことの限界なんです。
まあ私個人は答えられないながらも、一生懸命私の悩みに心を寄せてくださったことは有難いと今でも深く感謝していますが。
親鸞聖人の花びら藤の巻に「阿弥陀仏の救いに諸善万行が間に合うのか、合わないのか、本当に力を尽くしてやってみて、初めてハッキリ知らされるのです」とあるように、とにかく活動に励め、励むために発破をかける手段として信心の沙汰らしきことをやっているにすぎません。

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私も、仕事をしながらではほとんど仏法(親鸞会の活動)のために時間を使えず、このままではまずいと何度思ったかわかりません。しかし気持ちの折れやすい自分には講師部はとても無理。親友部は同期の会員がなったが、学友部に所属して学顕クラブのような活動をしている。自分には毎日ATをやり続ける自信もない。安心弁当ができた時、そのスタッフになれたらいいなと思ったりもしましたが、そうこうしている内に教義の誤りを知って退会しまいました。
確かに言われる通り、講師部や親友部は、仏法と関係あるのかと思える活動(雑務、連絡・報告・把握の事務)が見ていて多かったです。それらに疲れてか、自分の担当講師はビデオ法話の際によく居眠りをしていました。当時は疲れているのだなと同情するだけでしたが、そんなことでは本末転倒ですね。
結局親鸞会の職員は、薄給で長時間、会にいいようにこき使われているだけです。本人は仏法のためだと思ったり、そう言い聞かせたりしているのかも知れませんが、どれだけ活動しようとも本願力回向の救いとは何の関係もありません。それを高森会長は「阿弥陀仏の救いに諸善万行が間に合うのか、合わないのか、本当に力を尽くしてやってみて、初めてハッキリ知らされるのです」と関係づけ(親鸞会の活動は諸善万行もどきですが)、自分に無条件服従させてお山の大将を気取っているのです。蓮如上人が切り刻んでも飽き足らないとは、彼のような仏法をねじ曲げて多くの人を巻き込み、それでいて平気な人のことを言うのでしょう。

「本当の親鸞聖人の教え」という看板を掲げながら、主要教義のほとんどが誤り。「光に向かって幸せな道を」と言いながら、実態は名無しさんが指摘されている通り。会員、職員の皆さんは本当に幸せなのでしょうか? 彼らには「幸福なのでも不幸なのでもありません。おそらく多忙なのでしょう」の言葉が実にピッタリきます。未だにこのような羊頭狗肉の教えを聞き、活動依存症になり、信心の沙汰もまともにできないような環境に身を置く方々は本当に哀れです。存命の内に誤りに気づいて脱会し、真実信心に基づいて頂きたいと願います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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