私から親様にあいにゆくには、衆生の根機が千差万別ですから、八万四千の道があります。親様の方からあいに来て下さるのには、八万四千も、三つも二つもありません。ただ信心一つであります

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  二 大悲の親様のおよびごえ 

  三

 私から親様にあいにゆくには、衆生の根機が千差万別ですから、八万四千の道があります。親様の方からあいに来て下さるのには、八万四千も、三つも二つもありません。ただ信心一つであります。今まで、三悪道にちかづきつつあった身が、刻々に、お浄土のさとりへばかり近づく身となるとは、まことに、まことに、親様の仏力のお不思議、願で出来た御力のしからしむるところであります。親様は、今日の聞かせて下さるが大事です。私は、今日の聞くが大切であります。親様の「およびごえ」が、私に「わたる」と、「わたらぬ」の一つです。
 聴聞一つが如実に出来たなら、死ぬるまでもまつのではない。信の一念に、私の往生の願行をおさずけいただき、浄土参りの御利益はあとからあらわれますが、とりあえず私の中にある地獄だねの根が切れて、正定聚の密益をいただき、お浄土のさとりへばかり近づく身とならせていただくのです。
 私の往生のたねを、およびごえ一つで、即ち仏願の生起本末のお話一つで、「直ちに来れ、我能汝を護る」の一つで、つまり、「たすけるぞ」の一つで、私へおわたし下さるのです。つまりお助け下さるのですから、もしこれが、わたらぬと、永劫の間、どうすることもできません。それですから、親様は、「およびごえ」のところに、そのお心のすべてが入っておられるのであります。
 私は、その「およびごえ」を如実にお受けすることが大切であります。「弥陀がたすけるぞ」をお受けするばかりであります。それが、信心をいただいたことです。

(p.19~p.20)



1、『大経』(上)には、「如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」とのたまへり。この文のこころは、「如来」と申すは諸仏を申すなり。「所以」はゆゑといふことばなり。「興出於世」といふは、仏の世に出でたまふと申すなり。「欲」はおぼしめすと申すなり。「拯」はすくふといふ。「群萌」はよろづの衆生といふ。「恵」はめぐむと申す。「真実之利」と申すは、弥陀の誓願を申すなり。しかれば諸仏の世々に出でたまふゆゑは、弥陀の願力を説きて、よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、本懐とせんとしたまふがゆゑに、真実之利とは申すなり。しかればこれを諸仏出世の直説と申すなり。
2、おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。(一念多念証文)


都合上、上の『一念多念証文』のお言葉を2段落に分けました。
「私から親様にあいにゆくには、衆生の根機が千差万別ですから、八万四千の道があります」とは、2段落目のことです。八万四千の法門は、私から阿弥陀仏にあいにゆく教えであり、本願一乗の救い、他力回向の救いを直ちに受け入れない衆生を導くために仮に設けられた自力方便の教えということです。なので、既に親鸞聖人から他力回向の教えを聞き、教えを受け入れられるようになった人にとっては、かえってこれを廃せられるのです。
「親様の方からあいに来て下さるのには、八万四千も、三つも二つもありません。ただ信心一つであります」とは、1段落目のことです。弥陀の誓願(第十八願)は、阿弥陀仏の方からあいに来て下さるというものです。それは二つも三つもありませんので、本願一乗と言われます。もし、第十八願の救いにあずかるに自力方便の教えが必要なら、本願一乗とは言われません。

親鸞聖人から教えを頂く我々が他力に帰するのに方便仮門が必要かどうかは、「汝一心正念にして直に来れ(散善義)」のお言葉を解釈された、

・「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。(愚禿鈔)

の文や、

・「総不論照摂余雑業行者」といふは、「総」はみなといふなり、「不論」はいはずといふこころなり。「照摂」はてらしをさむと、「余の雑業」といふはもろもろの善業なり、雑行を修し雑修をこのむものをば、すべてみなてらしをさむといはずと、まもらずとのたまへるなり。これすなはち本願の行者にあらざるゆゑに、摂取の利益にあづからざるなりとしるべしとなり。(一念多念証文)
・「随縁雑善恐難生」といふは、「随縁」は衆生のおのおのの縁にしたがひて、おのおののこころにまかせて、もろもろの善を修するを極楽に回向するなり。すなはち八万四千の法門なり。これはみな自力の善根なるゆゑに、実報土には生れずときらはるるゆゑに「恐難生」といへり。「恐」はおそるといふ、真の報土に雑善・自力の善生るといふことをおそるるなり。「難生」は生れがたしとなり。(唯信鈔文意)
・余の一切の行はみなとりどりにめでたけれども、弥陀の本願にあらず、釈尊付属の教にあらず、諸仏証誠の法にあらず。念仏の一行はこれ弥陀選択の本願なり、釈尊付属の行なり、諸仏証誠の法なればなり。(浄土真要鈔)


などによっても明らかでしょう。
「たすけるぞ」のおよびごえ一つで、私はお浄土へ参らせて頂くのです。今、ここで、この私が救われるには、これより方法はありません。未だ方便が必要などと拘っている人は、親鸞聖人のお言葉にしたがって直ちに方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰して頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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