『御一代記聞書』に見る蓮如上人と高森会長との違い

浄土の法門は、第十八の願をよくよくこころうるのほかにはなきなり

の記事に雑草様からコメントを頂きました。ありがとうございました。
高森会長は、説法の前には「あはれ、あはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこころしばらくもやむことなし。」という蓮如上人のお言葉を話します。しかし、言葉は蓮如上人のお言葉を使ってはいても、説法の内容からは、とても会員やその他全ての人に対して「信心決定あれかし」という心は見られません。そのことは、生き様においても見られます。

蓮如上人御一代記聞書
御一代記聞書(現代語)

上のリンク先から、原文とその現代語訳を見ることができます。
例えば、「切りきざみてもあくかよあくかよ」の前に教えられていることにて既に紹介しましたが、

(239)
一 前々住上人(蓮如)には、なにたるものをもあはれみかはゆく思し召し候ふ。大罪人とて人を殺し候ふこと、一段御悲しみ候ふ。存命もあらば心中を直すべしと仰せられ候ひて、御勘気候ひても、心中をだにも直り候へば、やがて御宥免候ふと[云々]。

【現代語訳】
 蓮如上人は、どのようなる罪を犯したものであっても、あわれみ不憫にお思いになりました。
重罪人だからといって、その人を死刑にしたりすることがあると、とりわけ悲しんで、「命さえあれば、心をあらためることもあるだろうに」と仰せになるのでした。
ご自身で破門にされたものであっても、心さえあらためれば、すぐにお許しになったのです。



(240)
一 安芸の蓮崇、国をくつがへし、くせごとにつきて、御門徒をはなされ候ふ。前々住上人御病中に御寺内へまゐり、御詫言申し候へども、とりつぎ 候ふ人なく候ひし。その折節、前々住上人(蓮如)ふと仰せられ候ふ。安芸をなほさうと思ふよと仰せられ候ふ。御兄弟以下御申すには、一度仏法にあだをなしまうす人にて候へば、いかがと御申し候へば、仰せられ候ふ。それぞとよ、あさましきことをいふぞとよ。心中だに直らば、なにたるものなりとも、御もらしなきことに候ふと仰せられ候ひて、御赦免候ひき。その時御前へまゐり、御目にかかられ候ふ時、感涙畳にうかび候ふと[云々]。しかうして御中陰のうちに、蓮崇も寺内にてすぎられ候ふ。

【現代語訳】
 安芸の蓮崇は、加賀の国を転覆させ、いろいろと間違ったことをしたので、破門となりました。
その後、蓮如上人がご病気になられたとき、蓮崇は上人にお詫びを申しあげようと山科の本願寺へ参上したのですが、上人に取り次いでくれる人はいませんでした。
ちょうどそのころ、蓮如上人がふと、「蓮崇を許してやろうと思うよ」と仰せになりました。
上人のご子息がたをはじめ人々は「一度、仏法に害を与えた人物でありますから、お許しになるのはどうかと思います」と申しあげたところ、上人は、「それがいけない。何と嘆かわしいことをいうのだ。心さえあらためるなら、どんなものでももらさず救うというのが仏の本願ではないか」と仰せになって,蓮崇をお許しになりました。
蓮崇が上人のもとへ参り、お目にかかったとき、感動の涙で畳を濡らしたということです。
その後、蓮如上人がお亡くなり、そのご中陰の間に、蓮崇も山科の本願寺で亡くなりました。



とあるように、蓮如上人は改心した者をお許しになった人でした。ところが親鸞会では、

(241)
一 奥州に御一流のことを申しまぎらかし候ふ人をきこしめして、前々住上人奥州の浄祐を御覧候ひて、もつてのほか御腹立候ひて、さてさて開山聖人(親鸞)の御流を申しみだすことのあさましさよ、にくさよと仰せられ候ひて、御歯をくひしめられて、さて切りきざみてもあくかよあくかよと仰せられ候ふと[云々]。仏法を申しみだすものをば、一段あさましきぞと仰せられ候ふと[云々]。

【現代語訳】
 奥州に、浄土真宗のみ教えを乱すようなことを説いている人がいるということをお聞きになって、蓮如上人はその人、浄祐を奥州から呼び寄せ、お会いになりました。
上人はひどくお腹立ちで、「さてもさても、ご開山聖人のみ教えを乱すとは。何と嘆かわしいことか。何と腹立たしいことか」とお叱りになり、歯がみをしながら、「切りきざんでも足りないくらいだ」と仰せになりました。
ご法義を乱すもののことを「とりわけ嘆かわしい」と仰せになったのです。



だけを取り上げ、「人生の目的」を達成して生命の尊厳さを知らされているはずの人が、こんなことを仰るでしょうか?に挙げたような発言をしたり、「邪に対する怒りは信仰のバロメーターである」というようなことを言ったりしていました。また、会合では親鸞会除名者や批判者を槍玉に挙げ、(親鸞会にとっての)邪に対する怒りを増長させるようなことをしていました。

親鸞会では問答無用で「邪魔者は消せ」であって、除名者や批判者は絶対に助からないかのように言われたり、会員の皆さんはそのように思ったりしていると思いますが、それは全く弥陀の本願ということについて無知、真宗の教えについて無知であることの証拠に他なりません。学識を装った悪知識にほだされ、獲信・往生と関係ないことばかり聞かされやらされて、会員の皆さんは実に哀れです。教えの違いが生き様にも表れ、蓮如上人と高森会長は、遣う言葉は同じでもその説くところは全く違っていることを分かって頂きたいと思います。
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こういう所にも会長の断章取宜ぶりがあらわれていますね。
自分たちの考えに都合よく利用できる一部分だけを取り出して、それをタテに手前勝手な解釈をして「教え」としているワケですから。

ところで会長の法話の讃題は、数十年前から必ず御文章の「あはれあはれ存命のうちに…」ですが、あれも何やら変な形式ですね。
讃題=演題ですから、普通は演題のご文を讃題としてあげるはずなのに、イレギュラーな形式ですね、今思うと。
どーでもいい事かも知れませんが。

> かきふらいすらぁ様

手前勝手な解釈の教えですから、前後を読めば簡単に誤りがばれてしまいます。

その通り変な形式です。会長や会員に聞いたら「いつも信心決定あれかしと願っているのだ」と答えるかもしれませんが、信心決定と別の事ばかり説いていてそれはないですよね。教えを利用しているだけのトンデモ団体です。

No title

退会者から必死になってご本尊を取り返すなどもあり,親鸞聖人とも逆ですね。
会長の変なアニメでもご本尊を取り返してはならないと描いていたのに,矛盾しています。わざとおかしいことを言って,それでも従うかどうか試しているようにも思えます。

>maelstrom様

これについて昔、学友部の責任者であるK講師に質問をしたら、「本尊を粗末にするから返してもらう」とのことでした。なら真宗聖典や会長の本なども返却を求めるのが筋ですが、それらはどうでもいいのでしょうかね。目的は節税対策だと言う人もありますがおそらくその通りでしょう。まぁ親鸞聖人の権威を利用したコラージュ本尊など必要ありません。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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